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子育ては呪いじゃなく、愛だった
CBS & 鈴木真海子 / sudori
昨日。
体調絶不調で仕事を休んだ。ワタシが仕事を休むことは、とてもとても珍しい。もともと頭痛持ちなうえに、気圧の変化にも弱い。
だから子どものころから「頭が痛い」は日常茶飯事だった。そのおかげで少しの頭痛では通常運転できるようになってしまった。
…良いんだか悪いんだか。いや、悪いよね。
こう言うと病弱そうに聞こえるかもしれないけど、基本的には健康優良児です。風邪もほとんど引かないし。
丈夫な身体に育ててくれてありがとう、父母よ。感謝しています。
基本的には丈夫で元気だし、頭痛には慣れている。さらに「仕事」となると無理しがちで、無理できちゃう。だって丈夫なんだもん。
そう。無理しがちな性格が、休むという選択肢を遠ざけてきた。
「仕事」に対しては無理を惜しまない。だから体調が多少悪くても「休む」って選択肢はそもそもない。
とはいえ。なにもそんなに馬車馬マインドで働くことはないと思うんだよ。
今回体調を崩して寝込みながらずっと考えてた。
これからの人生についてと生き方について。
ちょっとここらで再構築する必要が、ある。
寝込みながら聴いていたsudoriの歌詞。
好きにやれよ
楽しみなよ
山積みの問題も棚に上げて
どうしようもないことばっかり
どうしても考えてしまうの
繋いでくstory
刺さるーーー。
もっとすきにやって楽しみなよ、ワタクシよ。
人生あっという間に終わっちゃうぞ。
仕事を愛してる、ってわけではないんです。いや、まあ仕事はすきだけど。いまの職業が、というか、働くことはすきです。
専業主婦も経験したけど、この生活が一生続くと思うと絶望的な気持ちになった。ワタシは働くワタシがすきなんですよ。
だけど息子が幼い間は働かないで一緒に居たかった。息子に対して絶対的な安心を作ることが、そのときのワタシの最優先事項だったから。
有難いことに夫だった人のお給料だけで生活することができたし、ワタシが働かないで専業主婦をすることも了承してくれたおかげで、思う存分息子と一緒に居ることができた。
暖かくてやわらかくて安全な場所を、息子が手を伸ばせばいつも得られるように用意していたかったの。
愛されている、って実感することってそれだけで安心できるから。それを息子にあげたかった。
ワタシ自身が、幼いころに愛されている実感を上手に持つことができなかったから、息子は愛されていることが当たり前に感じるようになるといいなって願いながら。
だからあなたを愛しているよ!をワタシの全部で精いっぱい表現して伝えてきた。息子がある程度の年齢になって、ワタシが働き出してからはもっと注意深く。中学生になっても、高校生になっても、ずっとずっと伝えてきた。
働きだして気付いたことは、実際に一緒にいる時間の長さではなくて、どんなときもあなたを見守っているよ、というこちらの想いがきちんと意思疎通できているかが重要だってこと。何をおいてもあなたが大事。
肝になる部分が意思疎通できている実感が持てたあとは、母も母でちゃんと人生を楽しむことができた。推しのライブ参戦とか美術館に行ったりとか。
働きだしたとき世間から「子どもがまだ小さいのに働くの?子どもをほっぽって?かわいそうよ」と言われた。
ライブに行くとき世間から「子どもを旦那さんに押し付けてライブに行くの?母親のくせにずいぶんわがままね」と言われた。
挙句の果てには「二人目は?まだ?」ときたもんだ。白目。笑
母親たるもの、子どもと家庭に全てを注がなくてはならない的な風潮ありません?ワタシはとても田舎で暮らしているから、なおそれが強くって、それが窮屈で苦しかった。
女として不十分だと言われているようで、まるで呪いだった。その呪いのような言葉にずっと縛られていた。自分を否定されているようで、苦しかった。
今となっては経験のうちのひとつだったね程度のことだけど、最中はね。つらいものです。
ワタシが子育てをしていた時代は少し前だから、今はあのころより緩和していると良いな。
母はときどき、母でも妻でも娘でもなく、ワタシだけのワタシでいる時間を持てないと全部が無理になっちゃうんだよね、妻になっても母になっても変えられなかったんだよ。全部が楽しくなくなるの。
って息子に説明したら、
ボクはねぇ、母が楽しいとボクも楽しいよ。強がりじゃなくて、ほんとうに。母が居なくても別に寂しいとかはないよ、だってすぐ帰ってくるし。母が楽しく過ごしている方が、ボクも楽しいよ。
そんな答えが返ってきた。
世間からどう思われてもいいや、と思った。
母親のくせにわがままで、子どもに寂しい思いをさせている人でいい。
息子とワタシとの間で関係性がきちんと成り立っていれば、あとはもうどうでもいい。すきなようにワタシを捉えたらいい。
暗い世界にいたワタシを、ある日息子がひょいっと救ってくれた。
母親たるもの、子どもと家庭にほとんど全部を注いでいるとおもう。その上で、自分の楽しみを持つことに罪悪を感じることは無いのですよ。全くもってないのですよ。
世の中の母たちは、みな素晴らしく、それぞれに見合ったやり方で愛を惜しみなく注いでいるとおもう。十分に。
結果、20歳になった現在「母には推しがたくさんいるけど、所詮いちばんの推しはボクですからねぇ」と自信満々にのたまうまでになった、ワタシの愛する息子。笑
うん、20年前に母が思い描いたようになっているとおもう。
自信満々に母の愛は当たり前になってほしかったんだよ。
これからもワタシは自分の人生をちゃんと楽しみながら、息子に「愛されることは当たり前」だとずっとずっと伝え続けていくんだと思う。
20年前に描いた未来の、そのもう少し先へ。