はれまで大切にしたいのは人の悩みを否定しないということ
私たち「はれまプロジェクト」のミッションは、「無理しなくてもいいんだよ」が当たり前になる世の中にすることです。
その第一歩として、現在、生理で悩んでいる人の支えになる活動を行っています。
この記事では、なぜ「無理しなくてもいいんだよ」というコンセプトを当たり前にしたいのか、プロジェクトで大切にしていることを、「はれまプロジェクト」を運営する後藤由希子の想いとともに、ご紹介したいと思います。
生理とのお付き合い 後藤Ver.
私に“それ”が訪れたのは小学校4年生の後半でした。
たしか、学年で2番目。学校の保健体育で“番外編”のような形で行われる、「女子生徒だけ集めての生理講習会」が行われるよりも前の、比較的早いタイミングでの初潮でした。
痛みも自覚症状もないままトイレに行くと、ショーツが赤褐色に。「病気になってしまったのかもしれない」と、本気で不安になったことを今でも覚えています。
同時に、それが「生理だ」と分かった時、急に訪れた「大人の階段」を100%受け入れられず、周りのお祝いモードに困惑しました。
今でこそ「痛くなる前に痛み止めを飲んでおこうかな」とか、「今日は二日目だから寝る時はこの生理用品を使おうかな」など、自分なりにリスクヘッジを含めた「生理との付き合い方」がある程度できるようになってきましたが、子どものころにいきなり出来るようになるなんて難しいですよね。
初潮の時はどの様に対応すればいいかもわからず、また、周りに生理が来ている子がまだいないという状況で誰にも相談できず、生理用品を使うことにすら抵抗があったことも鮮明に記憶しています。
(こうやって思い返すと、子どもに不安を覚えさせてしまう日本の生理教育は、まだまだ発展途上なのかもしれませんね)
自分にとっての「当たり前」=「常識」を疑ったら、大切にしたいことが見えた
前回のnoteで「はれまプロジェクト」のミッションについて紹介した寺林と同様、私も生理痛やPMS(月経前症候群)が重く、生理中は心身共に、苦しみ悩まされることが多いです。なので、「生理=つらいもの」が疑いもしない、私の中の当たり前でした。
もともと「はれまプロジェクト」は、トレンダーズ社内で「多様性を大切にしよう」という考えのもとに立ち上がった社内プロジェクトです。
創立メンバーとして、「生理」という人によって課題がバラバラでセンシティブな課題と向き合う覚悟はありました。でも、いざプロジェクトを進めていくと、どうしても自分の当たり前をベースに考えてしまうのです。
私も寺林も悩みが大きい方だったため、立ち上げ当初は「生理=つらいもの」に論点が偏ってしまいがちでした。
そんな中、「はれまプロジェクト」メンバーで何度目かのミーティングをしている時です。メンバーの1人から、こんな発言がありました。
「私がこのプロジェクトに参加したのは、生理がつらかったり、PMSで悩んでいたりするからだけじゃない」
この言葉を聞いて、「あっ!」と思いました。あんなにも多様性を大切にしたいと考えていたのに、私自身が「私の常識」にとらわれていたことに気づいたからです。もしかしたら、これまでも意図しないまま、メンバーを傷付けていたのかもしれないと反省しました。
これをきっかけに私は、「自分にとっての当たり前を世間の常識として押し付けて、誰かを否定しないこと」が「はれまプロジェクト」で大切にしたいことだと強く思いました。
「無理をしなくてもいいんだよ」を合言葉にしたい
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」という言葉があります。これは、私の人生観を変えたアインシュタインの言葉です。
この言葉を知ってから、私の考え方は大きく変わりました。
「はれまプロジェクト」に対して熱い想いをもって取り組んでいるのも、この言葉との出会いがとても影響しています。
「自分の当たり前」は「世の中の常識」ではありません。私と他の人は、感じ方が同じであるとも限りません。プロジェクトに携わることで、これに再確認することができたのは、本当に大切な出来事でした。
だからこそ、他の人にとっての当たり前にも興味を持って、共感し、受け入れ、否定をしないことが大切だと考えています。
寺林の記事にもあったように、私たちは「無理しなくていい」ではなく「無理しなくて“も”いい」と言い合える世の中を目指しています。
このミッションに込めた想いを私の言葉にすると、「自分の当たり前にとらわれず、人の悩みを否定しないスタンスを大切にしたい」という気持ちです。
つらい時は、たわいもない言葉でも受け止め方が変わってしまうことがあります。マイノリティの人にとっては、その言葉は刃になってしまう可能性だってあるかもしれない。
だから私たちは、つらいつらくない、無理をしているしていないという、状況を決めつけ決断を押し付けてしまう「無理しなくていい」という言葉ではなく、「無理しなくて“も”いいよ」という、選択権を相手に渡し、自分で決められる世界を目指したいのです。
もし、誰かに状況を決めつけられてしまったと感じた時や、自分の気持ちを受け入れられない時、意図せず誰かの状況を縛ってしまいそうな時は、思い出してください。
「無理しなくてもいいんだよ」という言葉を。
私たち「はれまプロジェクト」は、誰の悩みも否定しない社会をつくりたいと考えています。この言葉を思い出し、合言葉のように使ってもらえたらうれしい。そういう世界をきっと実現させます。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
どうか今日も、「無理しなくてもいいんだよ」。