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奥の部屋

 月に一度くらい覗く古本屋の清潔なシーツの掛かったソファに凭れ込んでその場で買った本を読ませてもらいながら、人ん家で読むと集中できるな、など思いながら飲んでいたビールのせいもあるだろうけどソファにはちゃんと本の値段プラス300円でビールを出してくれると張り紙がしてあるのだから人ん家に遊びに来て隅っこで本を読んでる子供では自分はなくて、客でいいんだよな、子供のとき親戚の集まりでご飯を食べた後は居場所がなくていちばん奥の猫の部屋で赤川次郎の三毛猫ホームズを日に二冊読んだこと、エレクトーンの教室で稽古の順番が回ってくるまで先輩の女の子の発表会用の曲の練習を聞きながら、畳に寝そべって(教室は畳敷きだった)読んでいたコバルト文庫の氷室冴子のなんて素敵にジャパネスクを、そのBGMなしに他の場所で読むと変な感じがしたこととか思い出していた。そのとき読んでいたのは歩道橋の魔術師という本で家に帰っても少しずつ読み進められてはいるのだけれど、そのときみたいに集中しては読めない。読みながらそんなこと思い出していたらそれは集中して読んでるとは言えないかもしれない。自分の記憶の中で、いちばん無邪気に読書に没頭しているのがその二つの場所の記憶で、そこにいる理由はあるけどなんとなく居場所がない、という感じがしているところが似ているといえば似ている。図書館や自宅でそこまで没頭した読書をした記憶はなぜかない。 

猫といえば。
 先日実家に帰ったときいつもけたたましく祖父を罵っている祖母が静かだった。祖父は徐々に弱っていて、呼吸がしづらくなって酸素吸入器を使うようになった頃はまだけたたましかった。歩けなくなり車椅子でないとダイニングにご飯を食べにこられなくなったときも車椅子を押しながら癇癪を撒き散らしていた。それもできなくなり寝たきりになり、朝夕にヘルパーさんに来てもらい、ご飯は祖母がベッドで食べさせるようになった。前回帰ったときはそれでもまだ文句を言っていたようだったがこの間は静かだった。いつも井戸端会議を延々としていたご近所のおばあさんたちがこの数年で亡くなったり老人ホームに入ったりして会えなくなって、それからが結構酷かったのだがヘルパーさんのおかげで話せないストレスは減っているのかもしれない。祖母は家族以外の他人と話すときは楽しそうにしている。
 何年か前、仕事に出ようと玄関を開けたら、うちの向かいの元酒屋さんの空き地でおばあさんが三人、コンクリートの仕切に腰かけてお話ししていた。真ん中が祖母で、背が低いからいつも座ると足をブラブラさせる癖があるのだがそのときもそうしていた。もんぺを穿いた小さな女の子が三人、横に並んで座って、足をブラブラさせて、お話ししていた。私を見つけて真ん中のひっつめ髪の女の子が手を振った。
 四六時中祖父の部屋で過ごすようになったのだろうか。実家から自分のアパートに戻るとき挨拶をしに行くと、介護用の祖父のベッドの足元に、祖父の飼い猫のように寝そべってテレビを見ていた。帰るわな、と言うと気ぃつけてな。と言って首を少し私の方に向けただけだった。前までは玄関先までバタバタと追いかけてきて、気ぃつけよ。また来ぃよ。明日仕事か。と答える間がないほどだった。

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