「日本人である」という特権
留学してから、「日本人である」というのはある種の特権だという思いを強くした。
日本にいれば、「日本人であること」は当たり前なので、自分の国籍に感謝することなどない。しかし、海外で生活を送ると、そしてとりわけ他の国出身の友人たちと話すと、心底「日本人である」というのは特権であるように思えてくる。
「入国できる」という特権
これまで30ヵ国近くに入国してきたが、日本のパスポートを保有していることほど心強いことはない。
良く知られた事実だが、日本のパスポートはビザなし(あるいは到着時ビザ)で入国できる国・地域の数が世界で最も多い。その数実に194ヵ国である。
その恩恵はなかなか理解しづらいが、下の地図はその理解を助けてくれる。
青い国は、ビザなしで渡航できる国が100ヵ国未満の国である。たとえば、中国のパスポートでは、ビザなしで行ける国は85ヵ国となる。日本の半分以下である。
「だったらビザを申請すればよいではないか」という声もあるだろうが、ビザの申請というのは極めて大きな壁なのである。
ビザを申請するには、その国の大使館に足を運ばなければいけないことが多い(オンラインで申請できるビザの種類は限られている)。これがいかに煩雑かは、留学生のケースを考えるとよくわかる。
私がインドでインターンをしていた時の同僚にブラジル人のハーバード生がいた。彼女は夏のインターンのためにインドにビザを申請しようとしたが、ブラジルにある大使館でしか受け付けてもらえず、わざわざそのためだけにアメリカから一旦ブラジルに戻り、そのあとインドに渡航しなくてはならなかった。(その結果棄却されることだって当然ある)
そしてビザ申請にはお金がかかり、かつビザが下りるまでには時間がかかる。「渡航までに間に合うだろうか」という不安材料が生まれる。
以前私が某国で働いていた際に、会社の社員旅行で隣国のリゾート地に行くことになった。その際、私の周りの同僚たちは会社から「ビザを早く取得するように」としつこく言われ、仕事の合間を縫って面倒なビザ申請を行っていた。それでも、一部の人はビザが下りず、社員旅行に参加できなかった。一方私は、というと、そもそもビザの申請すらいらず、何の問題もなく入国できたのだった。
ここで大事なのは、ただ単に「中国人に生まれた」というだけで、「日本人に生まれた」私たちの半分以下の国にしかアクセスできない、ということである。ここには多くの政治的・外交的要因が絡んでいるのだが、一人一人の人間からすれば、甚だしい不公平であることは間違いない。
ちなみに、先の地図で青色の国に共通する要素を考えると、かつて植民地支配を受けていた国がほとんどだということがわかる。これは当然で、そもそも出入国管理という概念は植民地支配とともに成長してきたものなのだ。植民地支配をする側にとっては、支配対象の国から人が流出しては困る(労働力が減る)ので、それをビザというかたちで管理していたわけである。その名残が、今も残り続けている。(ただし、植民地支配だけでは全ては説明できない。例:ロシア・エチオピアなど)
「入国しやすい」という特権
入国に関する日本人の特権を感じるのは、ビザだけではない。
実際にビザを取って入国する際の入国審査(イミグレーション)でも、その恩恵は極めて大きい。
アメリカなどは極めて露骨だが、国籍によって入国審査にかかる時間が大きく異なる。日本人やイギリス人などは極めて短時間で審査が終わることが多い(ただし最近は海外売春の横行などによりハワイ等で日本人女性の入国審査は厳しくなっているとは聞く)。一方で、中東出身者や中国人の場合、審査は長引く。これは9.11同時多発テロ以降の中東出身者への警戒と、中国との政治的な摩擦によるところが大きい。
私の友人の中国人は、いつもアメリカへの入国審査を怖がっている。彼女は毎回、アメリカに入国するときにはWeChat(中国版LINEのようなトークアプリ)をスマホからアンインストールし、WhatsApp(アメリカで主流なトークアプリ)からも中国人とのやりとりを削除して審査に臨んでいるという。これは彼女が神経質すぎるのではない。実際に、スパイだと疑われてトーク履歴などを掘り返される事例は多く存在するのである。
この点、日本人はどこでも大体入国審査官の対応はよく、自分の側に不手際がない限りは別室に連れていかれることは少ない。
「関係を作りやすい」という特権
自己紹介するときに私たちは当然のように「日本人です」と名乗る。
しかし、自分の出身国を名乗ることに抵抗を持たざるを得ない国があるということも、知っておかなければいけない。
このツイートで触れた中国、ロシアの他にも、最近であればイスラエルなどは自ら出身国を名乗ることがある種の「リスク」を伴う国である。
当然、私がそれらの国から来た人々を差別しているという意味では決してない。しかし、残念ながら国籍で人を判断する人は多い。露骨でなくとも、ネガティブな感情から関係が始まるということはよく起きる。
自分の出身国を言うだけで、その後の関係構築が難しくなる。これ以上の不公平があるだろうか。
その点日本人はかなりポジティブな印象を持たれているため、その後の関係構築もプラスから始められる。アニメやゲームといったソフトパワーや、素晴らしい治安や文化などがその理由だが、正直そのどれ一つとして、自分の成果ではない。日本人全体の努力や政策の結果であることは確かだが、その恩恵は、私という個人にとっては「不当に」大きいと感じることもある。
特権の自覚
日本人は、日本人であることを自虐的に語ることも多い。「日本人は英語ができない」「日本は世界で影響力がなくなってきている」などという声はよく聞く。
確かに、日本人は平均的に見れば本当に英語はできないし、それは国の政策や環境に要因があるのも確かだろう。しかしそのような「日本人であることの弊害」よりも、上で書いたような「日本人であることの恩恵」はやはりはるかに大きいように思う。私たちは弊害ばかりに目がいき、恩恵はなかなか自覚することが難しいが、実際に他国の人々に話を聞くと、いかに特権を持っているかがよくわかる。
日本国内で「特権」について語る人は多い。名家に生まれた特権、都心に生まれる特権、容姿端麗という特権、いい親を持つという特権...。「特権階級」「既得権益」「ガチャ」という言葉に代表されるように、私たちは「どうしようもない生まれながらにしての特権」が存在することを当たり前のように認識している。このような認識は時に「特権」を持つ人への偏見に繋がることもあるが、その一方で「特権」を持たない人の境遇を理解することにもつながる。
これと全く同じように、「日本人であること」についてもその「特権性」を自覚しておくことが重要なのではないだろうか。なぜなら、自分が特権を持っていることを自覚できていない人は、自分と異なる境遇の人々を無意識的に傷つけてしまうからだ。(マリーアントワネットが発したとして知られるあの言葉はその典型だろう)。
日本の「日本人」として
ここまで海外の例を挙げてきたが、日本国内で生活していれば関係ないかというと、そうでもない。
日本国内でも日本人でない人は300万人以上存在する。もし、その人たちがどのような不都合を被っているか、挙げることができないのだとしたら、それは少し時間を使って、自分自身を「教育」する必要があることを示唆している。
「日本人に生まれただけで、なぜそこまでしなくてはいけないのか」と感じるだろうか。しかし、今一度強調しておきたい。同じように日本人に"生まれなかった"というだけで、「なぜそこまでしなくてはいけないのか」と感じるようなことを日々続けなければいけない人が大勢いるのである。
その人たちが「日本人になる」という選択が簡単にできない以上、「日本人である」側の私たちが、そうでない人の境遇にせめて「関心を持つ」くらいは、当然のことではないだろうか。
ではまた。
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