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全ての社会問題に通底する「人種」の視点 ~アメリカと人種差別①~
アメリカで公共政策を学ぶ中で深く痛感するのは、アメリカという国における「人種差別」という問題の根深さと、その社会におけるとてつもない存在感である。
私たち日本人にとって、人種差別という問題はあまり身近ではないかもしれない。日本が単一民族国家だというつもりはないが、人種的多様性は極めて低いため、この問題がクローズアップされることは少ない。
それでも、国際社会に少しでも興味がある人であれば、アメリカでは人種差別が大きな問題であるということはそれなりに理解されていると思う。その中には、この問題が、貧困、教育格差、女性差別、気候変動、移民・難民、などの主要な社会問題と並ぶほど重大なものだと捉えている人も多いのではないか。
しかし、実はこの理解でさえも、アメリカにおける「人種差別」を過小評価していると言える。
私がこれまで学んできた感覚から言えるのは、アメリカにおける人種差別というのは、「他の主要な問題と並ぶ問題」などではない。文字通り「全ての社会問題に絡み合う根源的な問題」とさえ言えるものなのである。
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誇張だと思われるかもしれない。しかし、大学院で毎日社会課題を学んでいると、誇張なく全ての課題に人種のレンズが適用されるのである。
あらゆる問題に「人種」が影を落とす
たとえば、貧困問題が語られる時には必ずと言っていいほど、貧困割合×人種の統計が提示される。白人に比べて黒人・ヒスパニックの貧困割合は圧倒的に高い。(オレンジが人口に占める割合、青が貧困人口に占める割合である。)
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貧困対策を語るときは、その対策が一部の人種だけを利することにならないか?という疑問が常に呈される。
教育水準も人種による差が顕著である。下の図は、白人生徒と黒人生徒の点数の関係を学区ごとに表示したものである。斜めの線より下にある学区(すなわちほぼ全ての学区)では、白人のスコアよりも黒人のスコアが低い(円の大きさは人口である)。
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このような差が生まれる背景には、構造的人種差別(Systemic racism)と呼ばれる問題がある。これは、簡単に言えば「奴隷制に端を発した黒人への差別が、法律で差別が禁止された後にも続く大きな格差を生み、現在でも解消されずに再生産され続けている」という問題である。(「アファーマティブアクションについてハーバードの学生と議論したこと」より)
女性差別を語るにも、人種差別は不可欠である。社会学の概念に「インターセクショナリティ(交差性)」というものがある。これは、複数のカテゴリーを掛け合わせないと本当に困難を抱える人々の実像は見えてこない、という考え方だが、この概念が生まれたのも、「黒人」というカテゴリーの中で声を上げることが難しかった「黒人女性」の困難を捉えようとするアメリカにおける試みだった(ブラックフェミニズム)。
つまり、「女性支援」をする時にも、それが実は「白人女性」のみを助けていて、黒人、ヒスパニック、原住民のコミュニティの女性を置き去りにしていないか?という問いが常に投げかけれる
大気汚染に人種が関連しているというのは意外だろうか。しかし、実際には住む場所、環境、職業などの棲み分け(セグリゲーション)の結果、有色人種は大気汚染に晒される度合いが高いのである(下図)。当然、これは健康面への影響がある。他にも、気候変動により頻発するハリケーンの影響を受けるのはヒスパニックコミュニティだという研究もある。
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最後に、移民・難民問題。アメリカの移民・難民問題と言えばSothern border(南部国境)、すなわちメキシコとの国境を指すことが多い。ここには政情不安や経済状況の極めて悪い中南米からの移民(難民も含まれる)が押し寄せる。この問題は”border crisis”(国境の危機)と呼ばれ、「移民がこの国を乗っ取る」といった言説が生まれる源になっている。
さて、一見この"border crisis"には何の人種的意味合いもないように思える。しかし、過去米国が移民制限を行ったとき、それは人種と密接に結びついてきた。日本人排斥、中国人排斥、日系人収容などをご存知の方はピンとくるだろう。そして、今話題の"border crisis"も、黒人、Brown、ヒスパニックといった「自分たちと違う人種」がこの国を乗っ取る、という白人労働者層を中心とした人種差別的な思想が背景にあるという指摘は多い。
このように、文字通りどの社会問題を見ても、アメリカでは人種が掛け合わせられる。逆に言えば、少しでも人種の視点を欠いた時点で、それは大きな批判にさらされることになる。
もちろん、人種以外の要素が全て独立しているというつもりはないし、その他の課題が人種差別に劣る課題だなどというつもりもない。ジェンダーの軸も他の問題に掛け合わされて語られることは多い。
しかし、このアメリカという社会、すなわち人種差別を制度として社会に組み込むという究極の過ちを犯してしまった悔悟に覆われた社会では、人種的公正が極めて大きな存在感を持つのだということを理解しないといけない。
今回はここまでにして、次回はここから少し話を広げる。常に「人種」の視点を持つことが求められるアメリカでは、社会課題の「解決手法」を考える際も、「この手法は白人のエゴになっていないか?」「平均は改善していても、人種間の差はむしろ広がってはいないか」といった批判的な検証がなされることが非常に多い。
この点はアメリカのトレンドを学ぶ際に極めて重要な視点だと思っているので、次回はこの話をしたい。
ではまた。