ソーシャルセクターの待遇問題について
昨日帰ってきたボストンには雪がどっさり積もっていて、全く外に出られるような状況ではないので、おとなしく部屋に引きこもっている。
さて、東京滞在の最終日(1/18)にファンドレイジングジャパン2025に参加した。これまでオンラインでしかお話したことのなかった方々、Xだけでしか交流のなかった方々と直接お会いすることができたと同時に、ディスカッションの中では自分の感じるセクターの課題が明瞭に言語化されていたり、参加者の間で共有されていたりと、学びも多かった。
折角参加したので、そこで議論されたことについて、普段から自分が考えていることも絡めて書き残しておきたい。
(発言者の名前を出すことは控えた方がよい場合もあると思うので、適宜ぼかしているが、本質的には特に問題がないはずである。)
ソーシャルセクターの待遇問題
ファンドレイジングジャパンのとあるセッション。ビジネスセクターで実績をあげ、今はソーシャルセクターに関わっている方々がこぞって指摘していたのが、「ソーシャルセクターの報酬はもっと上がらなければならない」という指摘だった。
その論理はこうである。
私自身、この指摘には100%同意しているし、今日はここに自分の考えも補足できればと思っている。
ただ、自分の考えを述べる前にいくつか但し書きをしておきたいと思う。
(恐らくパネリストの方々も以下の点は重々理解されていると思う)
給与が高い=価値が高い、ではない。よく指摘されることだが、給与が低いからと行ってその方々の行っていることの価値が低いということには決してならない。保育士、運転手などのエッセンシャルワーカーを考えればそれは容易に合点がいく。給与に関係なく、価値の高い仕事をすることは可能だ。
ボランティアやプロボノには、それ自体に価値がある。もちろんフルタイムでの活動は専門性の獲得やインパクトの拡大においては望ましい。ただ、特に市民団体としてのNPOの価値は、人と人とをつなげるコミュニティ性にあるとも言える。同じ意思を持つ人が、ピュアにその思いだけでバックグラウンドを越えて集まることができるのがNPOならではの価値である。その点で、ボランティアやプロボノなどの関わりは今後も増えていくべきである。
と、このあたりの前提をおいた上でなお、ソーシャルセクターの待遇は改善が必要であると私は考える。いや、もう一段正確に言えば、主に中・大規模NPOの経営層・幹部の待遇は改善されてしかるべきである、と私は考えている。
NPOの経営層待遇をめぐる現況
日本にあるNPO(特定非営利活動法人)の経営層で、年間2千万円を超える報酬をもらっている人々は、恐らく数十人もいないのではないか。特に、日本国外で生まれたNPOを除けば、その数は両手に収まるのではないかとさえ思う。
しかし、これはあまりに少なすぎる。
ここで私が良く知るアメリカの数字を紹介したい。
アメリカのNPOのCEOの報酬は、2022年時点の中央値で$132K(約2,000万円)である。平均値ではなく「中央値」でこの水準である。アメリカのNPOは待遇に関する情報公開が日本に比べて進んでおり、この中央値も11万団体以上のデータをもとにしている十分に根拠のある数値である。(出典:Candid)
なお、このように書くと「アメリカは大きいNPOが多いから」や「サンプルが大きい団体に偏っているから」といった意見が寄せられそうなので、ここでは団体の規模別のCEOの報酬も紹介する。(ただし、このデータは2022年ではなく2021年時点のものになる点ご了承いただきたい。)
予算規模が7,500万円から1.5億円の団体でCEOの報酬中央値は約1,300万円
1.5億円から3.75億円の団体では約1,700万円
3.75~7.5億円の団体では約2,200万円
となっている。実際には2021年から2022年でCEOの給与は上昇したので、上記の各数値も今現在はもう少し大きいことになる。
かたや、日本の同規模の団体を思い浮かべると、この中央値の水準を支払っている団体はなかなかないのではないかと思う。(ちなみに、CEO以外の役員層も含めた数値は以前Xで紹介したのでこちらを参照されたい。)
なお、ここでもいくつか但し書きをしておく。
アメリカでも給与が高いのは経営層のポストのみであることが多い。たとえば学部新卒NPO職員の給与などは決して高くはない。つまり、NPO内で大きな給与差があるということである。ただし、個人的にはそれはそれでよいと思っている(理由は後述)。
そもそもアメリカはNPOに限らず日本よりも賃金が高い(名目賃金で比べても倍近く高い)。その分当然物価も高いため、数字が大きく見えるという点は割り引いて考えなくてはならない。円安も同様である。
筆者はアメリカが全てにおいて理想だとは1ミリも思っていないし、日本の方が上手くできていることも多い。ただし、こと待遇改善においては学べることがあるだろうと考えている。
なぜ報酬を上げるべきなのか
さて、経営層の報酬が少なくても、本人たちが満足していればそれでよいではないかという声もあろう。もちろん、最終的には各組織の経営判断なのだが、全体最適を考えるならばそれでは不十分だと思っている。
第一に、経営幹部の給与が低いと、スタッフ層のキャリアパスが描きにくい。
実は、アメリカでも(そして私が一時期働いていたインドでも)新卒でNPOに入る人々の給与は低いし、若手であればなかなかビジネスセクターには及ばない。しかし、たとえそうだとしても、この組織で頑張って成果を出せばしっかりと家族の生計も立てられる、と将来のイメージを描くことができれば、人は組織に残ろうと思うものである。
そんな中、大規模な団体の代表でも1千万円に満たない報酬となってしまうと、どうしても将来への経済的不安が勝り、特に子どもを育てることを考えた際にビジネスセクターに転身するということが起きやすい。
もちろん、セクターを超えた転職はそれはそれで広まるべきなのだが、一方的にソーシャルからビジネスに、それもややネガティブな理由で転職が起き続ける状況は好ましくない。実際、自分の周りでもいくつかそういった転職事例がある。
第二に、他のセクターとの「人材競争」に勝てない。
近年よく言われる話として社会課題解決を志す人材がインパクトスタートアップに流れていき、NPOに入る人材が減っているというものがある(やはりエクイティファイナンスというのは何だかんだ強い)。
同様に、「社会課題解決」のバズワード化により、大企業でもそういった価値を売りに人を集めるところが多い。もちろん、それ自体は社会全体から見れば良い流れなのだが、やはりビジネスセクターだけでは解決できない課題が厳然と存在する以上、一方的に人が出ていく状況は好ましくない。
こう言うと、「お金が理由で来ないくらいならNPOには来なくていい」という反論もあるだろう。
そういう考えを持つ方がいることも承知しているが、私は人の意思決定というのはもっと複層的だと思っている。つまり、実際は給与だけで、あるいはやりがいだけで働く場所を決めている人は少ないのである。多分に社会課題解決に闘志を燃やしていたとしても、その仕事が好きだったとしても、最後の最後に給与面の不安が勝りNPOへの就職を諦めるという事例は多い。もちろん逆も(数は少ないだろが)あるだろう。
結果的に大企業に行ったからといって、それはその人のソーシャルセクターへの思い入れが少ないということにはならない。だからこそ、せめて経営層くらいは一定の水準の報酬というのは必要なのである。
報酬が低い構造的要因
さて、ここまで簡単に「NPO経営層の給与をあげるべき」という話をしてきたが、実態がそう単純でないのも理解している。
ここでは、なぜアメリカ等と比較して給与が低いのか、その構造的要因を改めて確認したい。誰も好き好んで低い給与を出しているわけではないのである(もしかしたら低い給与に誇りを持っている人もいるかもしれないが)。
①資金の出し手側の要因
高い給与を出すにもその元手となる資金が必要である。それが集まりやすいか、そうでないかは待遇に大きな影響を与える。日本でNPOに資金が集まりにくい理由を分解すると、下記のようになる。
そもそも寄付が少ない。これはこのセクターにいる人であれば誰もが理解しているが、日本は寄付が少ない国である。対してアメリカは個人寄付だけで年間60兆円近くのお金が集まる国である。この理由を詳述しようと思うとこの記事では到底カバーしきれないが、信仰人口が少ない、寄付にまつわる税制が弱い(寄付金控除が受けられる団体が少ない)、寄付したことを対外的に言わない人が多い、そもそも寄付しようと思うような(目に見える)社会課題が少ない、など様々な要因がある。特に個人寄付と言うのは得てしてその他の資金源よりも使途の自由度が高いため、本当ならば職員の給与などに活用しやすいのだが、日本での個人寄付は低調である。
人件費に活用できない資金が多い。これも長年の問題として挙げられることが多いが、公的助成金や企業寄付・財団からの助成金は、使途に大きな制限があることが多い。具体的には、もらったお金を人件費に充てることができないことが非常に多い。この点はアメリカでも依然として問題点として指摘されることは多いが、それでも近年改善がみられている。
②労働市場側の要因
次に労働市場にも日米の違いが存在する。
NPOで働く人がそもそも少ない。アメリカには日本の約30倍の数のNPOが存在する。そして、民間で働く人に占める、NPO職員の割合は約10%に達する。つまり、公務員を除けば10人に一人がNPO職員なのである。こうなると当然給与面での人材獲得競争が起きやすい。
人材流動性が低い。アメリカでは転職は当たり前であり、企業に新卒で入ったからと言ってその後ずっと勤め上げることが当たり前ではない。そうなると、企業とNPOの境界もあいまいになり、企業側の給与水準が参照されることが多くなる。日本ではインパクトスタートアップ増加の流れもあるが、いまだにNPOと企業の人材プールの間には壁が残っている。
雇用の安定性が高い。日本では、職員の解雇は極めて難しいが、アメリカではその限りではない。NPOでもパフォーマンスが悪ければ解雇されることもある。その代償として給与が高くなっている側面もある。
労働者の立場が弱い。ビジネスセクターに比べて大規模な団体が極めて少なく、労働組合などによる賃上げ交渉などはほぼ起きない。当然、連合(日本労働組合総連合会)にあたる組織も存在しない。
③団体側の要因
給与を出す団体側にもいくつか要因がある。
清貧思想を内面化してしまう。困った人を助けるために働く人が高い報酬を得るのは道徳的でない、という考えがあるが、これを意識しすぎた結果、「給与は低いもの」という組織の不文律としてが生まれてしまう。また「高い給与をもらったら寄付者が納得しないのではないか」と考え、待遇改善に踏み切れない。
経営戦略が的確に練られていない。NPOでは、メインとなる活動・事業に対する戦略は練られていることが多いものの、自分自身の組織の戦略(人材戦略・財務戦略)などに時間がかけられないことが多い。その結果、人材獲得や給与の見直しなどにそもそも経営層や理事のマインドシェアが割かれにくい。また、トップ人材がいれば多少給与を上げてでも獲得する、といったビジネス領域では頻繁に起こるいい意味での「特例扱い」も起こりにくい。
では、待遇改善に何が必要なのか
ここまで、①②③の3種類の要因を紹介したが、改善余地があるのは①資金の出し手側の要因と③団体側の要因である。お気づきの通り②労働市場側の要因は、正直できることはあまりない。
以下、私が今後起きるとよいと思っている変化について書いていく。
①勢いのあるNPOが思い切って給与を上げ、それを公表する
こういった問題の解決には、得てして刺激(呼び水的な事例)が必要なものである。ファンドレイジングジャパンのセッションでも、「思い切って給与を上げてしまった方が良い」「最初の引き上げが肝心」といった声が上がった。
もちろんこれができる団体は限られている。しかし、限られてはいるが(自主事業型・寄付型を中心に)確実に存在する。その一部の団体が思い切って経営層の給与を上げることは中・大規模NPOにとって大きな刺激になる。ビジネスセクターではくら寿司やNECが新卒人材に年収1,000万円の報酬を提供するというニュースが大きく話題になったのは記憶に新しい。
ここで注意すべきなのは、待遇改善は対外的にしっかりと公表していかなければならないということである。アメリカとは異なり日本はNPO代表の報酬情報などが見やすくまとまったプラットフォームが存在しない(米ではProPublicaという有名サイト等で整理されている)。経営層の給与を上げても、放っておいてはそれには誰も気づかず、当然呼び水的な効果もなくなってしまう。
「公表なんてしたら報酬が高すぎると批判が来る」という声もあるだろう。しかし、そのような考えが先に書いたような「清貧の内面化」という現象であり、当たり前だが、誰かが給与を上げなければ給与は上がらないのである。これは、一団体にとっての経営判断であると同時に、このセクターにとっての重要な一歩でもあるのだ。
また、報酬の公表においてはその事実だけでなくなぜそのような決断に至ったのかを詳細に添えて公表することが必要だ。「同規模の民間企業ではXX万円の報酬は決して高くはなく、事業をリードする人材の獲得には給与向上が必須だと判断しました」「NPOセクターはこれまで待遇の改善が問題となってきました。今回の私たちの判断が他の団体に波及することを願います」など、効果的な公表方法はセクターから受け入れられるはずである。
このような変化が起きると小さなNPOにはもっと人が来なくなってしまうという懸念もあるだろう。これはビジネスセクターでは既に当然のように起きている現象でもある。しかし、上にも書いたが、ソーシャルセクターというのは給与だけを見て仕事を探すような人が支配的な場所ではない。給与というのはあくまで要素の一つであって、小さな団体だからこそ提供できる魅力も同様に存在するはずである。
②人材戦略策定を支援できる中間支援者が増える
構造的要因の箇所で、「人材獲得や待遇改善についてのマインドシェアが低い」という問題を指摘した。この点の改善には、中間支援団体やプロボノの存在が不可欠だと考えている。
普段は事業に追われ、人材戦略について考える時間が長くとれていない経営層をサポートし、組織設計や評価制度の構築を手助けできる存在は重要であり貴重だ。同時にどういう場合であれば標準以上の給与を出すことも厭わないのかを言語化・制度化しておくことも重要である。
この中間支援においては、普段から人材獲得について考えているビジネスセクター(大企業・スタートアップ問わず)の人材が大きな価値を発揮するのではないかと思う。
③富裕層・財団が人件費に資金を援助する
正直、日本の伝統的な資金の出し手の「助成金を人件費に充ててはならない」という不文律は根強く、なかなか改善の兆しを見せていないのが実情だ。
一方でファンドレイジングジャパンでもいくつか事例が紹介されていたが、実業家を中心とした現代の富裕層や彼ら/彼女らが立ち上げた財団には、この分野のイノベーションをリードするエネルギーがある。そして彼らはここに書いてきたようなセクターの構造的問題についても理解が深いことが多い。
斬新なアイデアとしては、人件費などの一般管理費に"特化した"助成プログラムを作るというものがある。応募団体には、なぜ今の人件費水準が不十分かをピッチしてもらい、それをもとに適切な団体に人件費として資金を助成するというものである。少額のものであれば既に存在するのかもしれないが、大規模なものはまだ日本には存在しないのではと思う。ちなみに、アメリカでは間接費に特化して5年間にわたって億単位の助成を行う助成プログラムが存在している。
④そもそもNPOへの資金流入が増える
ここまで来ると一団体では対応できない領域に入ってくるが、NPOに流れ込む資金の量を絶対的に増やしていくことは何よりも重要だ。
そのためには、篤志家は自分が信頼するNPOにより大規模なベットをし、政府や自治体はPoC済みの事業には積極的にお金をつけ、インパクト投資家はNPO融資にも主眼を置く、といった改革が徐々に進んでいくことが必要である。
先日、ハーバードのNPO経営の教授にこの問題を相談した時には、「結局この点が重要だよね」という結論になった。
結び
毎度のことだが、「よし、1,000字くらいで書こう」と思っても、書く中で普段考えていることが芋づる式に湧き出てきてしまい、今回も結果的に7,000字を超えてしまった。
しかし、強調したいのは、この問題は複雑だが確実に解決策があるということである。そしてその変化の兆しは、徐々に見え始めていると思う。何事も魔法のように解決とはいかないが、地味にでも少しずつ改善されていくことを願っている。
最後に、繰り返しになるが、私は全てのNPOが高給を出せるようになるべきだとも思っていないし、高給を出さないNPOが悪いNPOだとも思っていない。私は何事も多様性があることが大事だと思っているのだが、NPO経営層の給与水準については、まだその多様性がみられていないことを憂いているだけである。
(もし、本件について、各方面への提言や発信を行おうと考えている方がいれば是非ご連絡ください。何かしらの貢献ができるかと思います。)
ではまた。