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いち:「 今日 」と「普通」

 2023年2月26日、日曜日、午前10時22分、私の頭の中で浮かんだ。
 「タイトル」のない本を作ろう。自分でも意味が分からない。ただ頭に浮かんだ事をテーマにして書いてみたい。そう思った。
 前置きとして、私は何かの研究や文学等の専門家でもない。なので、文章内容は、あくまで頭に浮かぶことをテーマにして書いている。ある意味自分の頭の中を客観的にしたいだけかもしれない。自己満足なだけだ。
 
 今日頭に浮かんだ事としては、というよりも今もずっと浮かびっぱなしである。(この言い回しも明日になれば違うのかもしれない。)

 今日初めて本を作ってみたいと思った。そのはじめとして今日は「今日」を書きたい。今日何したとかではない。

 「今日」私は生きている。朝何事もなく起き、歯を磨き、髭を剃る。家族の洗濯、朝ごはん作りと毎日のルーティンをこなす。

 「今日」私はテレビのニューズをふとみると、どこのだれだれが殺された、や、詐欺にあった。などの朝から暗い話題に嫌気がさす。半面、被害にあった人を悲しむ「今日」がある。これが「今日」の日本なのかと。

 「今日」思った。「普通」ってなんだと。私は、発達障害の傾向があり、うつ病を患っている。緩解に向かっていたが再発。「普通」ってなんだと思った。もしかしたらこれが一番言いたい事かもしれない。「今日」頭の中で浮かんだ一番は「普通」という言葉だ。

 「今日」を生きるのは簡単ではない。私にとって、「普通」が非常に辛い。みんな「普通」に生きている。かのようにふるまっているだけかもしれない。本当は、みんなこの「普通」という鎖に縛られているのかもしれない。良い事も悪い事も。犯罪がいいわけではないのは理解している。ただ、頭に浮かぶ。

 「普通」にしなさい。
 「普通」はそうしないよね。
 「普通」じゃない。
 「普通」忘れ物しないよね。
 「普通」同じミスはしないよね。
 「普通」の子と違うよね。
 「普通」じゃないよね、あの人。
 「普通」・・・・・・・・・・・etc。キリがない「普通」

 「普通」は、世界人口の数だけ存在していると思う。ただ、「普通」を共有している。そこから仲間外れがでる。「不普通」。「普通じゃない」が生れる。私は非常に怖い言葉だと思ってしまう。ただ、私には信念がないのというよりも、八方美人、百方美人な自分がいる事は知っている。だから私も「普通」を意識してしまう。辛い事だ。

 もういちど言うが、私は何かの研究や文学の専門家ではない。「今日」頭に浮かんだ事をテーマにして書いているだけだ。

 人の脳は、一日に沢山の事を思考することは恐らく知っている事だと思う。私もその一人にすぎない。ただ、私の頭に浮かんだ事は、どうやら「普通」じゃないらしい。

 「今日」腰が痛いが、歩ける。うつ症状はあるが、ご飯もおいしいと感じれる。好きな番組や、涙があふれるような好きなドラマも見れる。大金ではないが、お金も稼げる。家族と話もできる。「普通」って何だ。

 誰かが、誰かに対して、悪口を言う。
 誰かが、誰かに対して、何度もミスをするから罵倒する。
 誰かが、誰かに対して、できない部分をしつこく言う。
 誰かが、誰かに対して、自分の「普通」を押し付ける。
 誰かが、誰かに対して、・・・・・・・etc。キリがない。親、祖父母、上司などからずっと私が言われてきた「普通」だ。 

 「今日」私の頭に浮かんだ「普通」。非常に厄介で私にとっては非常に辛い言葉。子供を育てる親になって、私も以前はそういう風に「普通」を言っていた。今も言っているかもしれない。意識して初めて気づく。
 
 「普通」じゃないといけないのではなく、ひとりひとりをじっくりと観察することが大事だった。その事を子供達に教えてもらった。

 「普通」にするために、できない事に目を向けるのではなく、できる事、できた事に目を向ける目を持つことがとても大切。特に私もできた事を見てもらえた時はとても嬉しい気持ちでいっぱいだった。今もそうだ。子供もできる事を真剣に褒める事はとても大切なことだと知った。

 という事が「今日」頭に浮かんだ事だ。


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