目が吸い寄せられ、耳を奪われる
視覚的に派手なもの、見慣れないもの、動きが激しいものって、思わず見てしまいますよね。
また、美しい音色、聞きなれない音、大きな音についても、同様です。
この動きって、特に意識せず自動で行われると思うんです。気づいたときにはそっちを向き、それを聴いている。
多くの場合は「なんだ、○○か」で済むのですが、時には驚くようなものがそこにあることも。
こういう人間の機能って、不思議だなあと思うわけです。
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この機能がある理由のひとつは、危険察知のため。
おおむね、五感に訴えかけてくる情報が「激しいなにか」や「慣れないなにか」である場合、危険が含まれている場合が多いというものです。
猛スピードでこっちに突っ込んでくる車からは、当然逃げないといけないですよね。あと、近くで銃声が聞こえたら、明らかに自分の身に危険が迫っています。
こういう「危険」に臆病にできているから、人間は長生きするのでしょうかねえ。
もっと言うと、っこういう「命が命を守ろうとする仕組み」そのものも、結構不思議な感じがします。
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命が命を守ろうとするのは、種の保存のため。けれど、どうして種を保存する必要があるのでしょうか?
ある種族の系譜が維持され、後の時代にも引き継がれていくことを当たり前に「是」と考えていますが、僕はそこに、他の思考もあっていいのではと思うのです。
例えば、危険が迫ったらいきなり全く別の種類の生き物に変わるとか。あるいは、いきなりバラバラに小さくなって、次合体したときは全然違うものになってるとか。
危険が迫った途端、自死するなんてものもいたかもしれません。危険というストレスに耐えかねて。
まあ、そういう種があったとしてもすぐ滅びるでしょうけれど。
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話が逸れましたが、僕が目や耳の機能を不思議だなと思うのは、必ずしも思考と連動していないところです。
見ていないようでいて、見ている。
聴いていないようでいて、聴いている。
こういう五感は強制的なインプットなので、自動で見たり聴いたりはできると思うんです。紙にずっと太陽光を当てていたら黄ばむし、ラジオは勝手に電波を拾う。そういう自動的なものはわかる。
ですが「視界に注力する」や「音に注意を向ける」ということは、結構複雑な処理だと思うんですよ。
なだらかに変化していた情報が、あるとき突然、急速に変化する。その変化幅の大きさがある一定のレベルを超えると「危険」かもしれないということで、そっちに注意を向けるわけです。
熱いものを触ったときに手を引っ込めるような動き、反射と呼ぶらしいですけど、これの仲間なんでしょうかねえ。
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人間の機能って本当にすごくて、自分が寝ているときも、死にたいと思っているときも、淡々と「身体」を維持しているんですよね。そこに「思考」や「人格」は影響しない、というか影響を及ぼしたりコントロールすることができない。
ある意味、こういう自律的な部分を思考でコントロールできないのは、人間の不便な部分であり、人間をここまで生かしている部分でもあるかもしれませんね。
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