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【終焉を受け入れた者たち】

私は20代後半だが、この年齢になってくると周りの人間が家庭を持ち、そして子どもが産まれてくることも増えてくる。

友人からそうした報告をもらうと、
「良かった」と嬉しさがこみあげてくる。

そのことは決して嘘ではない、偽らざる本心だ。
しかし同時に別の考えが浮かんでくることも増えてきた。

「そんなことは思ってはいけない」
「余計なお世話だろう」

とその考えを否定しようとするが、否定しようとすればするほどある言葉が心で浮き彫りになる。

「果たしてその子たちは安心に快適に
そして幸福に生きられるのだろうか?」と。

忘れがちだが、日本は依然として世界屈指の経済大国(注1)であり、世界トップクラスの暮らしやすさを誇る国と言っても過言ではないだろう。

一度でも海外に行ったことがあればそのことを身に染みて理解しているはずだ。

しかしそれはあくまで今の話だ。ここから先は状況が異なってくる。そう少子高齢化による国家の衰退だ。

約15年後の2040年には、高齢者の6.7人に1名が認知症になると言われている。(注2)過去の予測より改善されてもこの数値だ。核家族化により、人々の繋がりが希薄になる中でこの数値は脅威的だ。薄まった分は社会が支えることになるからだ。

対してこれを負担する現役世代は減っていく一方であり労働力が減少し、現在の生活レベルが維持できなくなる。土木建築や介護職などの職種が人手が足りないというニュースは見たことがあるだろう。(注3)(注4)

インフラも維持できなくなり、(注5)将来的に消滅可能性のある自治体から人も街としての機能も消えていく。

そして災害や周辺諸国のリスクもある。そうはっきりと言って将来に希望が全く持てないのだ。

そしてこれは個人としての体感だが、現在の若者たちはそのことを認識してはいるが、並行して未来に対して諦観の念を持っている。
「どう考えてもこの先どうしようもない未来が待っているそんなことは分かっているが、だからと言ってどうしろというのだ?」と。

だから確実にやってくる終焉に目を向けず、生活を維持し続けるのだ。

そのことを非難したい訳ではないし、そもそも非難する権利なんてない。そして別に反出生主義を掲げる訳でも、ただの悲観主義に浸りたいわけではない。

どうしようもない大きな問題を考えても個人ではやれることには限りがある。だから目の前の生活を精一杯やるしかない。そのことは間違いであるはずがない。そのはずだ。

そう考えて前を向こうとするが、行く先に立ち込める暗雲がどうしても視界の端に映る。やがてそれは確実に全てを覆いつくすだろう。

その時が来たら、私たちは
何を見て何を思うだろう。

(注1)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240215/k10014358471000.html

(注2)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240508/k10014442791000.html

(注3)

(注4)

(注5)
https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/ONB/22/hitachi1207/

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