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人間の証明~或る男の歌〜 ④

見出し画像: 佑木瞬

持病のヘルニアが悪化し、戦っていたらこんなに日にちがたってしまっていた。


うたう

歌う人にとって、"歌う"は"生きる"と同義。

なーにかっこつけちゃっても~~♥️

いやね
歌っている人は、歌うことを特別なことだと思っていないんじゃないかと。
少なくとも僕は歌うことはなんも特別ではないかなー。
生きることに必要だから。普通に、ADLに含まれると思ってるぐらいの感じ。言い過ぎかも。

でもやっぱみんな、そんな風に
息をするようにったらクサイけど
ごく自然に歌っているように見えるし
歌うように生きているように見えるし
生きているから歌っていて
歌いながら生きている
って感じに見えるしね。
歌っている人は、"歌う"も"生きる"のうちなんじゃないかねーって。そんなことを思います。


カワベシンゴ

私は北斗市の出身。
名曲中の名曲「夕焼けになる」には『茂辺地の辺りの夕焼け空』や『上磯のセメント工場の煙突』が出てくる。
高校生の頃、そんなもの気にもならないぐらいに毎日見ていた。

初めてこの曲を聴いた時の事を覚えている。

そう、知っている。茂辺地の辺りの夕焼け空も、上磯のセメント工場の煙突が真っ赤になっているのも、散々見てきたんだからよく知っている。
何故か自分はそれを曲にしたことはなかったし、曲にするなんて発想もなかった。
でもとてもよく知っているし、とても好きだ。
お腹の上のほうが真っ赤に真っ赤に焦げていくような感じがした。

カワベさんの歌は、自分が大事にしてきたものをいつだって認めてくれる。
無くしちゃいけないものとか、忘れられないものとか、普段は気にしていないけれど実はすごく大切だったこととか、人には言えない自分の中にある色んなものを「それ、良いもんだよ」と教えてくれるのだ。
例によって今回だってそう。
自分が26になったことを改めて気付かされた。

そして案外今の自分って悪くないかも、と私は見慣れた帰路に着いた。

住んでみると、函館も案外悪くないしね。

撮影: 佑木瞬

田畑裕柾

田畑裕柾はマブです。

弾き語りでようやく色んなところから声がかかるようになってきた頃、
よく彼と共演していた。

話せば長い色んな事があった。
話せば長いから話さないけれど。

公演の前夜、久々に二人で過ごした。
とても懐かしかった。

お前も俺の事分かっているだろうし、俺もお前の事はそれなりに知っているつもりだ。

という前提がある以上、他の人と話す時とはスタート地点が違う。道順も独特。
互いにしか分かり合えないものが確かにあって、そんな秘め事みたいなやり取りをいつでも同じセーブデータから始める。

田畑裕柾が好きだ。
そんでもって田畑裕柾の曲も好きだ。
また一緒にできて嬉しい。
また何回でも始めよう。

撮影: 佑木瞬

堀木光太郎

憧れの偉大な先輩。
光太郎さんと話すとき、少し照れてしまうのは何故だろう。

タバコ吸っているだけで芸術になる。
立っているだけで芸術になる。
歩く芸術。
それが堀木光太郎。

光太郎さんはギターへの愛がある。
私の愛機を光太郎さんに弾いてもらうと、すごくいい音がする。
よくあるじゃない、人見こきの赤ん坊がやたらこの人には懐くのよね、ってやつ。あれとおんなじ。

光太郎さんの歌は、歌っぽくない。
写真だったり、絵だったり、古いフィルムだったり、なんかそういうものを見ているみたい。
美術館に来たみたい。

見た事の無いもの、行ったことの無い場所、知らない世界を味わえる。
今度はどこへ連れて行ってもらおうか。

撮影: ハラタモツ

僕はどんなうたをうたっているだろう。
自分のライブが観てみたい。
自分は自分の音楽にどんな感想を抱くのだろう。

なんか粗探ししちゃいそうだからやっぱ観たくないや。

歌うことは特別じゃないよ。
だから僕らは歌うんだろう。
それが空気を伝って
誰かのもとへぶらぶらと遊びに行くんだ。
そんでまた空気を伝って
僕らのもとへ帰って来ては
「今日こんなことがあったよ」
と、日記みたいに教えてくれる。
こんな特別なことはそうないよ。

つづく。

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