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赤子写真とクレバス

LINEのグループトークに突如送られてくる、赤子の写真。
それは突然だ。夏季休暇の取得について、最近目にした新聞記事について、子どものいない者たちが話しているところで脈絡なく突然にブッ込まれる。

いいのだ、いいのだよ、赤子はかわいいし、見るたびに成長していて話題に事欠かない。こちらだって赤子をまた少し大きくなっているだろうな、彼女育児に忙しいのかな、とどこか思いながらトーク画面に参加しているから。ウエルカムだ。

だが、突然の赤子写真に私は会話を途切れさせる以上の断絶を感じてしまう。心の準備ができていないためだろうか。こちらから提供できる共通の話題が無いからだろうか。認めたくは無いが、断絶とまで感じるのは私が不妊治療中だからだろう。僻みが私と彼女の間に小さなクレバス、心の距離を生むのだ。

不思議なのは、突然赤子写真をブッ込んでくる彼女たちは、旅行に行って自撮り写真を送ってきたり、新しい恋人の写真を送ってきたりする人ではなかったことだ。そうだったら納得がいく。彼女は自分の嬉しさや喜びを写真で共有したいのだな、と思って終わる。
でも違うのだ。彼女たちは自分や恋人、配偶者の写真は送らずとも、赤子が我が元にくると無意識にその成長を、その愛らしさを突然に写真で共有したくなるらしい。少ない友人のうち、もっと少ない子持ちの子が100%そうであるのは大変興味深い。父となった友人は周りにいないので、そのデータはない。残念だ。

どうなのだろうか。私も赤子が家にきたら突然に稲妻のように写真をブッ込むようになるのか。夫はどうなのだろう。恐ろしい。もしかしたら、ブッ込まないのかもしれない。それも恐ろしい。どちらにせよ恐ろしい。

不妊治療に終わりは見えないが好き勝手に想像して結局のところ楽しんでいる。


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