「そうじゃないエネルギー」って意外とすごいかも

「得意な科目だけ伸ばそう」、「好きなことだけをたくさんやって過ごそう」といった言葉をよく聞く。その選択肢がある状況は素敵だと思う。
でも「違和感」や「得意じゃない」と思う経験は意外と大切かもしれないと気づいた。

漠然とした不安や不満がある時期が定期的に訪れる。「なにかが違う」みたいな感覚が訪れる。
その感情をごまかしたくて、本を手に取り始める。どうにか理論で自分を納得させようとして、疑問に思ったことに対して答えを求めているかのように読む。集中力がアップした状態のため、記憶に残る。コミュニティにはいるきっかけも、「いまのままだとなんかまずい」みたいな感情で衝動的に入っ。この衝動を「負」と捉えていた。全てを受け入れたいから、「ちがう」を感じていないふりをしていた。
「なんかちがう、そうじゃない」と思う「違和感」からでてくるエネルギーは原動力なんじゃないかなと思う。本を読むことも、コミュニティに入ったことも私にとっては、かなりプラスになった。今思うと、本もコミュニティも、もし毎日充実していたら出会わなかったかもしれないと思うこともある。

目標としていることや日々気を付けていることも、意外と「そうじゃない」と確信してからその理想像になることも多いのではないかと思う。例えば、「常に機嫌がいい人でいたい」と思うと仮定する。その目標の背景には「常にご機嫌な人素敵だな。」と思う場合もあるが、「自分が不機嫌になってしまって他者を傷つけた経験」や「他者の不機嫌さで不快になった経験がある。」のような体験が強いように感じる。根拠はないが、そんな気がする。
自分が「そうじゃない」姿に近い状態で、
なりたいが、なれなかった姿に惹かれやすく、理想や憧れに結びついていくのではと思う。思考が近づき、その理想に歩み寄るようになるのかなと思う。

もちろん、私自身、嬉しいことや喜ばしいことで溢れてほしいと願っているが、実際にエネルギーがでているのは負の経験や「そうじゃない」と思った時の方が、多い気がしている。
私自身はテストの点数が低い時の方が勉強するようになるし、厳しくて正しい指摘をもらった時の方がやり切る。
私自身の場合は残念ながら、「優しさ」も「そうじゃないエネルギー」からでているかと思う。「いやだな」と思った時に自然と「これは人にやってはいけない」と思い、自然と気を引き締めるようになる。他者に対して「こうしてくれたら嬉しいな」と思うことは、他者にするようになる。自分が傷つくことで、相手への配慮につながることもあるのではと思う。
※もちろん「この行動素敵」と思って、自分もやることもあるので、一概にはいえないですが。。

負の感情にぶち当たると、逃げたくなる。ごまかしたくなる。
「自分を一旦受け入れることが大切」と言われるが、難しい。一旦「それがエネルギーになるかも」と考えると少し楽になる。そして、負の感情や違和感があるからこそ学びが生まれて、知性になっていくのかなと思う。色々な経験をして、その違和感を気づくことも大切であることを実感する。





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