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[無料]原哲也に「遺影」を撮らせていただけませんか?

まさか、僕が48歳になるとは思ってもみませんでした。


10月24日は僕の誕生日。48歳になりました。
48歳、48歳、48歳、48歳!?
10代、20代の僕には48歳の人たちはどう見えていただろう。
はるか遠い存在。所謂「大人」だったと思う。

いざ、自分が48歳になり、ここまで「大人」になりきれていないとは思わなかった。
一日の始まりはため息から始まる。僕は悩む。僕は不安になる。僕は迷う。僕はさみしくなる。僕は苦しむ。僕は死にたいといつも思っている。

そんなことを言うと馬鹿にされるかもしれないが、実際、そうなのだ

 年齢を重ねると時間が早く進むとよく言われるが、僕に関しては、その感覚がない。一年は一年だ。
それは、僕が時間を繋げる、職業「写真家」だからかもしれない。
(僕は写真を撮る行為は被写体や時間を切り取るではなく、繋がっていることを証明する行為だと思っている)

説明すると長くなるので一言で言えば、

「万物はひとつであり、自我がその事実を忘れさせている」

写真、もっと言うなら芸術はそれを思い出すヒントになるものであると僕は思っている。

人は生まれたときはそれを知っていて、死ぬときにそれを思い出す。

「母親の写真」

僕は死を意識する、階段や坂を登るとき、息切れがする。年齢が近い著名人が死ぬ。まだ健在であることはとても幸せなことだが、たまに実家に帰ると両親がどんどん小さくなる。糖尿病だと診断もされた。

そう。もうすぐ僕は死ぬのだ。

僕は、25年間、写真家として生きているが、死ぬまで写真家でありたい。
魂がこの世に存在できなくなるまでカメラのシャッターボタンを押し続けたい。

そう思えない時期もあった。今だって撮影の仕事に行く時は気が重い。

それでも僕は写真を愛しているのだ。

愛しているのだ。

昨日、母親から「お誕生日おめでとう」と電話があった。
去年までは、嬉しい反面「はい、はい、はい。そんじゃあ、ありがとう」
当たり前に思う気持ちが正直あった。

今年はなぜか違った。母親の声がとても優しく、暖かく尊いものに感じた。

ありがとう。嬉しいよ。

心の底から思った。

僕は決心をした。覚悟を決めた。「作品」を撮る。僕の写真家人生をかけた「作品」を撮る。

何を撮ればいいのか、ずっと考えていた。ずっと。ずっと。

「遺影」だ。


季節外れのアイスコーヒーを飲みながら、確信した。
僕は、あなたが生きてきた証を残したい。そして次の世代に繋げたい。

「遺影」を「無料」で撮ります。



みなさんのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんやデイサービス、デイケアを運営している方やそのお知り合いがいる方、25年の写真家歴、15000人を撮影している僕に「遺影」を撮らせていただけませんか?僕の「作品」として使わせていただく約束で「無料」で撮ります。
ピンときた方は、依頼フォームから連絡ください。(質問等はnoteのコメントやFacebookのDM)よろしくお願いします

↓依頼フォーム↓

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↓原哲也ポートフォリオ↓

↓原哲也Facebook↓

「遺影」というと構えてしまうかもしれない。
「遺影」と謳っているが、単純に僕はその人の生涯で一番いい写真を撮りたい。

僕の撮影は対話から生まれる。その人の半生を聴いてから写真を撮る

↓原哲也PV(撮影の様子の動画)↓

↓原哲也インタビュー動画↓

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原哲也にあなたの「遺影」を撮らせてください



よろしくお願いします!


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原哲也 📸/写真家/STUDIO流
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