波乱万丈の原点その1(二度の交通事故)
こんにちは。
波乱万丈ゲイの行政書士
田中利英です。
「波乱万丈ゲイの行政書士」というタイトルで何が「波乱万丈なの?」という風に思う人もいるのかな?
ということで、今日は波乱万丈になる、私の人生で大きな出来事の1つ交通事故について書きます。
「波乱万丈の原点シリーズ」でときどき書いていく予定です。
ちなみにこの内容は、ライブドアブログにも同じ内容を掲載しています。
実は、45年生きてきて交通事故に2度遭っているんです。
しかも1度目は死にかけたみたいです。
「みたいです」というのは、本人はまだ小さかったので記憶が曖昧だからです。
なので、以下はすべて聞いた話を基に書いていくので、「みたいです」「ようです」という書き方になります。
1度目の交通事故
小学校に入学する前だったことは覚えているので、年齢でいったら2~4歳位の時だったんだろうと思います。
母親の妹(叔母さん)と一緒に買い物に行き、叔母さんが肉屋さんだかで買い物をしている時、私は車の中で待っていたそうです。
その際に自分から車の外に出てしまい、叔母さんのいる肉屋の道路を渡ろうとして車に跳ねられてしまいます。
最初に地元の病院へ搬送されたようですが、地元の病院では手に負えず大学病院へ搬送されるという死亡する確率がかなり高いコースです。
大学病院の先生から告げられたのは、「助かったとしても植物人間(状態)です。」といわれ、母親は病院の廊下で土下座をして先生に助けてください。と訴えたようです。
そして、どれだけの日数が経過したのかわかりませんが、ある日、母親が私を背中に背負いながら病院の廊下を行ったり来たりしている時、閉まっている扉の前で「ここは通れないんだね」というような言葉を発したとのこと。
その声を聞いた母親は驚き、喜んだようです。
書いていて、自分でも疑問に思うのがベットから離して背負うことはできたの?と思うのですが、どうなんでしょうね?(詳しい方いたら、コメントいただけると幸いです。)
もうその時から40年以上が経過していますが、薄ら覚えているのは回復後は病室で他の子どもがアニメの話をしていることや病院でアナウンスをしていた記憶があります。
ちなみにアニメは、たぶんマジンガーZだったと思います。
「おっぱいミサイル!」とかいっていた記憶があるので(;´・ω・)
https://www.youtube.com/watch?v=L9D3Ut0Lb-w
そんなこんなで何とか無事に退院することになるのですが、その後再び交通事故に遭うことになります。
それも小学校入学前の出来事です。
「波乱万丈の原点その2」に続きます。(いつになるかは不明です。)
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