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精神科医・小中学生だった頃

小学校の時は、目立たないおちなしい子供だったです。

同じ学校の教師だった母が「〇〇ちゃんみたいにハキハキした勉強の出来る子なら、いいのになあ」と言うの聞いて。
「ふうーん。私って勉強できへんのや」って思うくらいで。
けなされてもあまり感情の動く子でなくて。
目立ったこと何も覚えていません。

でもなぜか、大人になったら、何か仕事する!ってそれだけは決めてました。

親が「女の人でお給料の高いのは、書記さんかシュツワーデスや、って言うの聞いて。
ほんならスチュワーデスがいいなと。
けど、その仕事って容姿端麗で英語できへんとダメ、って知ってすぐ諦めました。

テレビ見てると、歌に合わせてダンスしてる人には凄く憧れて「生まれ変わったらぜったいダンサーや」と思ったけど。
ダンサーになれないことはわかっていたんですね。

中学性になると。

俄然、自我が出てきました。私本来は内気で社交的でない性質ですが、一方でめちゃ正義感にあふれ、自分の考えを堂々と言う子になりました。
いじめっ子の男の子を、ものさし振り上げて追いかけまわしていたみたいです。

将来のことも考えるようになりました。

「ねえ、ねえ、看護婦さんになること、どう思う?」って聞いたら友達が「看護婦さんはオールドミスになるさかい、かなん」と言う。
でも私は人の役に立つんやったらオールドミスになってもかまいません・・・・・そんな日記が残っています。
オールドミス、という言葉を使う時代でした。

キュリー夫人伝をよく読んでいて。
ひとりで研究室にこもる研究者がいいな。夫婦で研究者になって地味ぃ~な暮らしする、って憧れていました。

人の役に立ちたい。
地味な暮らしでいい。

とにかく人の中に出ていくのは、たとえ小学校教師でも嫌、と思っていたみたいです、両親が教師でした。

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