応用生態工学第20回日韓セミナー#2 ソウルの再開発プロジェクトであった清渓川再生
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今回の訪問で訪れた清渓川(チョンゲチョン)は,ソウルの旧市街の中心を流れていた川を,一度蓋をして暗渠にして高速道路を走らせていたのを,2000年代以降に再び川に戻し,周囲の都市まるごと作り変えてしまった韓国のビッグプロジェクトの一つで,2002年にソウル市長だった李明博(イミョンバク)さんが旗を振って,その後大統領になったという市民の支持も大きく得られたプロジェクトであったようだ.
日本でも河川関係者界隈では有名な事案である.
初めての清渓川
清渓川はソウル旧市街を西から東に流れ,南に向きを変え,大河川である漢江(ハンガン)に流れ込んでいる.清渓川から南に約1kmの地下鉄2号線Sangwangsimni駅で降りて,約1kmを歩く.暑いだけでなく,やけにアップダウンがある.面白かったのは,清渓川に平行に自然堤防状の大きなマウンドがあったことだ.これが一体どんな地形なのかあるいは人工的なものなのかいずれ調べるとして,汗ダクダクで清渓川に対面する.
川の両側にある散策路に降りる箇所は狭い階段がところどころあり,スロープは数百メートルごとに一つあるかないかくらいだが,蒸し暑い土曜日の朝ではあったが散歩やジョギングをする市民とぼちぼちすれ違った.写真ではわからないが,おそらく下水処理水だろうか,湿っぽいムッとした匂いがする.我慢できないほどではないが,あまり水質はよくなさそうである.東京の人であれば,渋谷川ストリームのあの匂いとほぼ一緒だ.
とても蒸し暑かったこともあって,思っていたほどの感動はなく,そのまま清渓川博物館に向かった.(この途中のどこかでT-moneyカードを落としたらしい…)
展示が素晴らしい清渓川博物館でチョンゲチョンの歴史を学ぶ
清渓川博物館は,暗渠化されていた清渓川をオープンにして再開発をした区間の一番下流側(東側)にある4階建ての建物である.私は単に清渓川のプロジェクトの紹介なのかと思っていたら,想像以上の内容と展示の質であった.
展示の順路はエスカレーターで4階に上がったところからのスタートで,入るとすぐにジオラマがあり,清渓川が百済以降の歴代王朝の首都であり,自然地形も活かした城塞都市の真ん中を西から東に流れていたのが清渓川であったことが分かった.
南大門とか東大門があったり,南大門が不思議な向きで残っていたのもかつての城塞の一部であったのだなぁと納得.
清渓川の近代までの歴史で強調されていたのは,日本に植民地化されていた時代のことで,京城(ケソン)と名前を変えられて植民地時代に行政府がおかれていたことやその後の独立(光復)などの展示に交じって,日本の技術者が手がけた仕事の図面が展示されていたのが印象に残った.清渓川の河川改修も,量水標の設置も,道路計画も日本が占領している間にやった仕事だったのだ.(だからどう,というつもりはありません)
その後,大韓民国として独立した後,清渓川の両側には露店が立ち並び,市がたったりバラックだらけだったようだ.それを韓国政府は一掃し立ち退かせ(もちろん大きな反対運動があったとのこと),清渓川を暗渠化し,暗渠の蓋の上を道路に,さらにその上を高速道路にした.高速道路の両側には,露店市場に代わるものとして大型のビルが建設された.
半ばスラムに近い川沿いの住民や商人を立ち退かせて開発する,というのはどこの国にもある話で,日本でもほうぼうでもあった話だろう.「塩水くさび」が観察できることで有名な北九州市の紫川のへんの同じような経緯があったことが北九州市立水環境館の展示に書いてあったような.
上記写真を撮影した野村基之氏について調べたところ、なんとこの方は「清渓川の聖者」と呼ばれた牧師さんで、この写真も野村牧師が1970年代に撮影したもののようだ。
その後,2000年代に入り,ついに清渓川の再生のプロジェクトが始まる.このプロジェクトがあらためて大きなプロジェクトであったことに気が付いたのは,川沿いのかなり広いエリアの再開発もまとめて行われたことだ.
「交通対策」,「商人対策」というタイトルの展示もあり,交通の流れは大きく変わるし,大々的な再開発も入るのでさまざまな地元調整が必要であったようだ.李明博(イミョンバク)氏が大統領になったのは、これを仕切ったリーダーシップがソウル市民に広く認められたからであったのだろう.
追記 李明博氏の経歴をWikipediaからひも解くと、現代グループを築き上げた実業家であり、土木建設に強い経歴があり、清渓川以外にもいくつもの自然再生プロジェクトを手掛けたことが示されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%98%8E%E5%8D%9A
…ここまでのビッグプロジェクトであったことを知らなかった.清渓川再生はその周辺エリアまで巻き込んだソウルの一大再開発プロジェクトだったのだな.
一通りの常設展示を見終わって一階まで下りてくると,絶滅危惧種(とくに植物)にフォーカスした特別展示をやっていた.生態系サービスや食物連鎖などの概念を踏まえて、植物の機能やその保全が人類の生存に必要であると、かなりストレートなメッセージが込められていた。あくまで印象に過ぎないが、韓国の環境保全意識は、最近の日本よりずっと高そうだ.
ソウル駅のそばには,1970年代の高架道路を公園にリニューアルした「ソウル路7017」もあり,これも夜ちらっと見てきたのですが,その記事はまた後日.
今回の出張目的であった応用生態工学 日韓セミナーの記事に続く.