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浮きも沈みも、酸いも甘いも。

久しぶりすぎるnoteを書いてみる。
私は会社員である。とある企業のいち社員なのだけど、元々いた組織とは違う組織で働いている、今年の1月から。

ここは元いた組織と全然違う。とある決断をして、今私はここにいる。いろんな想いがあり、辛いことも楽しいことも、大人になってからこんな不思議で大変な出来事があるんだと、心いっぱい味わいながら、なんの因果か(と言っても自ら選んでここにいるだけなのだけど)、今私は元いた組織とは違うところで働いている。

先程と繰り返しとなるが、ここにいることを選んだのは、他でもない私である。

その昔から私にはどうしようもない癖があった。

・生まれたからには色々試してみたい
・せっかく日本人に生まれたのだから東京に行ってみたい
・せっかく東京にきたのだから住んでみたい街に住みたい
・やりたいことをやってから死にたい
・失敗するかもしれないけれど、どうせならやってみたい
・興味を持ったことは経験してみないと気が済まない
・心と体を目一杯使って生きていきたい

その結果、今ここにおる。大人になっても何故か「やってみなけりゃ気が済まない」性格は変えられず、ここに至る。

結果。つまんない。ここは私の「今生の居場所じゃない」って実感している。

でも、それでよかった。ここにきてみたからわかった。きてみなくちゃわからなかったから。

やってみる前から「私の居場所はあそこじゃない」「あの場所は私には合わない」、本能でそれがわかっていて、やらなくても、そこに行かなくてもそれがわかる頭がよくて器用な人が心底羨ましい。しかし、今のところ、私はそうなれていない。

いくつになっても馬鹿なままで、賢くなんてなれやしなくて、ちょっと興味があるだけなのに、自分の目でみて、感じて、確かめて、そうしてみるまで気が済まない。賢く生きられない。器用に生きられない。

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でも、それでいい。と言うか、そんな風にしか生きられない。

今いる場所は、おもしろくないし、一生「ここ」に居ろと言われたら今すぐに離れるだろう。だけど、元の場所に戻るにはここにいることが最短の道だし、学べることはあるし、知ってよかった、学んでよかった、体感してよかったと思える。

何よりここにきて、「元いた場所が心底好きだった」と、心から思えた。

たぶん、わからんけど、ここに来なくちゃそう思えなかったのだ。ここにきたから、そう思えたのだ。

元いた場所での酸っぱくて甘くて心底辛くて、でもなんだか心躍った時間と、そこで出会った人たちとの時間は、かけがえのない経験だったと心から思える。あそこにいてよかった。そしてここにきてよかった。なぜなら、私は元いた場所が大好きだったし、元いた場所にいる人たちを心底リスペクトしていると心から今、思えているから。

そして何より、すったもんだあって、あの時「ここでやってみたい」「ここに来たら見える景色を見てみたい」と思って、決めた自分を裏切りたくない。ここにきたから、心底ここはつまらんのだと知った。それでいい。一生いる場所ではないけれど、ここにいる時間をこの先の人生の糧にしたいし、糧にもならないかもしれないけれど、あの日あの瞬間の自分の決断を褒めてあげたいし、リスペクトしてあげたい。

「ここ」にきて、4か月が経った。早く逃げ出したいと思ったことがある。何度もある。と言うか毎日そう思ってる。でも、それでも自分でここを選んだ。不毛や!と思うことがたくさんあるけれど、自分で、自分のこの目で、自分の体で、それを知ってよかったんだと心底、そう思える。

「元の場所」に戻るには、「ここ」で頑張るしかないのだ。「ここ」を抜け出す方法はたくさんあるし、「他の場所」に行くこともできる。けれど今の私は、「元の場所」でまたチャレンジしたいから「他の場所」には行こうと思えない。少なくとも今は。「元の場所」に戻る機会を捨ててまで「行きたいどこか」は、今のところ見つからないのだから。

この先どこでどうしてるかはわからない。

今は元いた場所に戻りたいと思ってるけど、この先何があるかはわからない。昨年、想像もしてなかったディープインパクトな事件があった。なんでそんなことが起こるねんと。なんだこれと。想像の範囲を何倍も超えてたけれど、そういうことが起こるから人生は楽しいのだろう。

私にとって、落ち着き、平和で、ビール片手にポテチを食べるピースフルな時間とは、たまに起こる「とんでもない」「想像もしない」出来事があるからこそ楽しめる時間であるのかもしれない。

予想外のことが起こらない人生はつまらないし、「この先一生平穏だよ」と言われたらその瞬間は心底ほっとするだろうけど、1週間も経たないうちに、そんな安心できる人生に飽きてしまうのかもしれない。馬鹿だと思う。

いくつになっても、やりたいことを全部やりたいし、自分の目で確かめたいと気が済まないことは自分の目で確かめたいし、それでこの先またある意味失敗するかもしれない。

失敗のない人生に憧れるけれど、私はまた失敗するだろう。自分の目で、心で、体で、みて、感じて、生きていきたいと思いながら、いろんな後悔と幸せを感じながら生きていくのだろう。

「あの人はあほだ」「破天荒だ」「いい加減にしいや」と言われるような生き方かもしれない。きっと数年経ってもそういう風にして生きているかもしれないし、もしかしたらそうじゃなくなってるかもしれない。

でも、それでいい。どの道でもいい。だってそれが私なのだ。

「ここ」で自分なりに頑張りながらも、最近は夏の足音が聞こえまくりで、わくわくする。夏になったら3年ぶりにハワイに行くことが決まったし、3年ぶりにフェスにも行く。

夏が大好きだ。冬の澄んだ、張り詰めた、透き通った空気も大好きだ。けれど、どこか甘ったるくて、湿ってて、汗ばんで、何か起こりそうで何も起こらないかもしれない、夏の空気が大好きだ。腕を出して、肌を剥き出しにして、どこかに行きたい。どこへも行かなくても、真夏の昼下がりにクーラーが効いた部屋で、窓の外から聞こえる蝉の声を聞きながらまどろむあの午後も大好きだ。いくつになっても、夏が楽しみだ。ブルーハワイとかカンパリソーダみたいなネイルを塗って、髪の毛を明るくして思いきり夏を味わいたい。

不思議なことに、好きではない、一生ここには居たくない今の居場所だけど、ここにきたからできたことも、いくつかある。叶った望みもある。何が大事かもわかった。

この先も浮きもするし沈みもするけれど、それが楽しくて悲しくて、面白くて、愛おしいのだ。

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