見出し画像

東京を歩く#5 東京タワーを間近に見たい

昭和33年に完成した高さ333メートルの東京タワーは今でも東京のシンボルだが、最近は周辺にタワーマンションや高層ビルが建ち、きれいに見える場所が減ってきているらしい。そんなことを聞いてしまうと、今のうちに近くで見ておこうという気になる。

前回は東京でもややマニア向けとも言える下町ゾーンを歩いた。今回は、一転して東京らしい都会的な街並みを歩いて東京タワーを目指したい。

前回はこちら↓

2024年のシルバーウィークの今日は、東京駅からのスタートとする。東京駅の駅舎は丸の内側と八重洲側に大きく分けられるが、辰野金吾の設計による有名な赤レンガの駅舎は丸の内側にある。

東京駅

東京駅の正面は皇居方面を向いているが、この前テレビで見聞きしたところによると、皇居と真正面に向かい合うことにならないように、少しだけ斜めにずらされているのだそうだ。
東京タワーの方角に向かうため、まずは、東京駅から皇居に向かって続く広大な行幸通りを歩く。

皇室や外国大使のための行事も行われる行幸通り

行幸通りをまっすぐ進むと皇居外苑と呼ばれているエリアに入り、内堀通りに突き当たる。近くにある公園は和田倉噴水公園。周辺の高層ビルと水辺がマッチした、とてもオシャレな公園になっている。大きなガラス張りのスターバックスコーヒーも都会的。

中央奥に見えるのはパレスホテル東京

皇居外苑を南に歩いて行くと楠木正成の騎馬像が見えてくる。上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像と並んで東京の三大銅像に数えられるということで、確かにかっこいい。

楠木正成像

しかし、楠木正成は鎌倉時代末期から室町時代にかけて主に近畿地方で活躍した人物で、東京にはそれほどゆかりが無いはずだ。それなのにこの皇居近くに銅像があるのは、楠木正成が天皇家を守りつづけた忠臣だからであり、鎌倉幕府の倒幕から南北朝時代までずっと、当時の後醍醐天皇を支えたからである。
ちなみに、この銅像も、東京駅と同じように皇居を真正面に捉えないように少し顔を逸らしていると言われている。

そのまま続けて南に歩けば、皇居外苑を抜けて日比谷公園に入る。
日比谷公園には伊達政宗 終焉の地がある。伊達政宗も東北の武将だったはずなのに、なぜここが終焉の地なのか?と思うところだが、江戸時代には、江戸城周辺に位置するこのあたりに全国の大名屋敷が並び、伊達家の屋敷は日比谷公園のあたりにあった。当時は参勤交代で江戸の屋敷にいなければならない期間もあったので、その時に最期を迎えたということのようだ。

伊達政宗終焉の地

日比谷公園には噴水が多い。伊達政宗 終焉の地のすぐ近くには、どういう経緯で設置されたのかは知らないが、ペリカンの像が向かい合った噴水がある。

ペリカン噴水

ほかには、鶴の噴水やカモメの噴水もあり、なぜか鳥がモチーフの噴水が多い。公園の中央付近にあるのは大噴水。

日比谷公園の大噴水。ここも高層ビル群との対照が映える

日比谷公園のすぐそばは霞ヶ関で、官庁が密集している。
官庁の建物の中には、かなり築年数の経っていそうな外観の建物も多い。例えば財務省の建物は1943年にできたもののようで、築80年以上だ。改修はされているとは思うものの、職場としての使い勝手は見た目よりもいいのだろうか。

財務省

虎ノ門エリアに入ると一転して現代的な建物が多くなる。この辺りは再開発も目まぐるしく、真新しい高層ビルも多い。
そんな場所を歩いていると急に虎ノ門金刀比羅宮が現れる。ビルのピロティのようなところを抜けたところに鳥居と社殿があり、まさにビルに囲まれた神社となっている。

鳥居には四獣(青龍、朱雀、白虎、玄武)がいる

通りの反対に目を移せば、オフィスやマンション、ショッピングモールが入った複数の高層ビルから構成された虎ノ門ヒルズ。周辺の道路は工事中であるから、まだ開発があるのだろうか。

虎ノ門ヒルズ森タワーのパブリックアート「ルーツ」

愛宕あたごエリアまで来たところで、鳥居が現れ、その奥にかなり角度の急な石段が見える。
この石段は愛宕神社へ続く階段で、出世の石段とも呼ばれている。

さあ、出世の石段を上るぞ

見た目の通りかなりきつい石段で、上っているとかなり足にこたえる。途中でしんどくなってあとどのくらいなのかと思うタイミングもあったが、急すぎて見上げるのも大変だし、出世の階段の途中で止まるわけにはいかないと思い、一気に上り切った。
石段の先には社殿のほか、顔はめパネルが2つあった。1つは曲垣平九郎まがき へいくろう、もう1つは西郷隆盛勝海舟

石段を上ると顔はめパネル

曲垣平九郎は出世の階段の由来の人物。3代将軍の徳川家光がこの辺りに来た際に、石段の先に咲く梅を馬に乗って取ってくるよう家来に命じた。急すぎる階段のために多くの人が失敗する中、曲垣平九郎は見事に取ってくることに成功し全国に名をはせた、という出来事にあやかって、出世の石段と呼ばれている。
西郷隆盛と勝海舟のパネルがあるのは、2人が江戸城の無血開城に向けた会談をしたのが愛宕山と言われているため、ということのよう。あれ?別の場所じゃなかったっけ?と思ったが、どうやら会談した場所については諸説あり、複数の候補地があるようだ。

愛宕神社のある場所は、実は愛宕山と呼ばれる山の上であり、この愛宕山は東京23区にある自然の山で最も高いものとされている。山頂は標高25.7メートルで、出世の石段を上った先には三角点もある。

愛宕山の三角点

出世の石段を上り下りする自信がない場合には、その隣にある女坂と呼ばれるもう少し緩い傾斜の階段があるほか、少し南に行けば愛宕山エレベーターもある。

愛宕山エレベーターと愛宕山トンネル

愛宕エリアを抜けて麻布台エリアに入ると、2023年にできたばかりの麻布台ヒルズが見える。歩いていてまず目を引くのは桜田通りに面しているグニャグニャした奇抜なデザインのビル。麻布台の丘陵をモチーフにしているのだそうだ。こんな形状の建物を作ることができるのかという驚きもあるし、作るの面倒だったろうな、とも思う。
また、奥には麻布台ヒルズの中でも一番高い麻布台ヒルズ森JPタワーがある。高さは325メートルあり、このビルが完成したことで、あべのハルカスを抜かして日本一高いビルの記録が更新された。

麻布台ヒルズ。左奥の高層ビルが森JPタワー

飯倉という交差点に着くと、一気に視界がひらけ、東京タワーが目に飛び込んでくる。この交差点からは東京タワー通りという名前の通りが伸びており、東京タワーのすぐ真下まで行くことができる。

真下に着くと、仰ぐような姿勢で東京タワーを眺めることになる。大きな土台部分が間近にあることで力強さが感じられ、そこから一気に細くなりながら天に伸びているので高さも実感できる。

ひっくり返るくらい大きい東京タワー

被写体が超巨大なのと、どうしても太陽が入りがちになるので、構図を決めるのに難儀したが、何とか写真に収めることができた。

芝公園からの眺めも写真に撮ろうと再び歩く。
見栄えのいい場所を探すうちに、期せずして芝東照宮にたどり着いた。三大東照宮に数えられることもある所だが、意外とコンパクトな佇まいだった。

芝公園内の芝東照宮には神輿が置かれていた

芝公園ではこの記事の見出し画像を撮影した。

隣接する増上寺にも足を伸ばす。増上寺の敷地からは大殿と東京タワーが並んだ写真が撮れるほか麻布台ヒルズ森JPタワーも見える。増上寺の方がもちろん先にできたわけだが、なんていい場所に建っているお寺なんだと思ってしまう。

増上寺と東京タワー

増上寺は徳川家の菩提寺なので歴代将軍のうち6人のお墓があり、700円で見学ができる(宝物展示室とセットなら1,000円)。
上野の寛永寺も徳川家の菩提寺であることから2つの菩提寺を持っていることになるが、徳川将軍のお墓は増上寺と寛永寺でちょうど半々に分かれている(日光にお墓がある初代家康と3代家光、谷中霊園に一般人として眠る15代慶喜を除いた12人が6人ずつ分かれる)。4代家綱、5代綱吉と連続して寛永寺にお墓を作った頃に、増上寺が物言いをしたことで、その後は2つのお寺に半分ずつくらいになるようにお墓が作られるようになったそうだ。

東京十社の1つである芝大神宮が近くにあるので、今日の歩きの最後に参拝することとして、その先の浜松町駅から帰路につくことにした。

芝大神宮

旅のスタンプ
[訪問:東京十社]芝大神宮

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?