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令和の米騒動に思う 米びつを満たす向田邦子の純愛

令和六年の米騒動

 中秋の名月に新米を炊きました。炊飯器の蓋を開けたとたん顔中に浴びる新米の湯気は格別な香りがします。まぶしいほどぴかぴかに輝く新米をそっとしゃもじですくってから指でつまんで口に放り込む。お行儀が悪いと叱られるのは承知の上ですが、毎年この最初の一口は舌でじゅうっと押しつぶしながら甘みを吸いつくしたいのです。
2024年の新米はわたくしの経験で最も味わい深いものとなりました。なにしろ「令和の米騒動」と言われるほどの米不足で、我が家も8月末に米びつが空になってから4週間以上も主食を麺類やパンで過ごしてきたのです。

米が店頭から消えたきっかけは、8月8日に宮崎県で発生した地震だったと思います。気象庁はこの日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震と南海トラフ地震との関連性について検討した結果、「南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられる」と注意を呼びかけたのです。するといつものようにトイレットペーパーが消え、マスクはもうコロナが弱毒化して需要も減ったので安売りされてはいるものの、防災用品とともに長期保存できる非常食などの商品が忽然と消えたのです。保存食が一斉に売り切れることはよくあることです。南海トラフ地震の注意喚起がおさまるまでの一時的な買いだめ、買い占めだからすぐに買えるだろうと思っていたところに今度は台風が次々と発生しました。
台風5号: 8月12日 岩手県大船渡市付近に上陸。 台風7号:8月17日 関東に接近。台風10号:8月29日 鹿児島県に上陸し九州を北上横断。線状降水帯が発生し四国や中国地方だけでなく台風から離れた地域にも大きな被害をもたらす。
私はまったく気にかけていなかったのですが、テレビやインターネットで“令和の米不足”などという文字を見かけるようになって「そういえば我が家の米びつもそろそろ底をつきかけているな」と思った時にはすでに遅し。あらゆる店から米が姿を消していたのです。一時はレトルト食品や乾麺カップ麺までもが品薄になりました。これが一過性の自然災害ではなく戦災であったなら日本はあっという間に…と想像して恐ろしくなりました。
2023年はたしかに米が不作ではあったようですが、急に足りなくなるほどではなかったはずです。外食産業や弁当で提供されるご飯の量が減ることはなかったですし、政府はすぐに新米が出荷されるので米不足は解消されるとして備蓄米の放出もしませんでした。今回の “令和の米騒動” は過剰な買い占めと転売が大きな要因であったと思います。

新米を迎える儀式

私は新米を最初に焚く時、米びつ深くに手を差し入れじっと感触に浸る“儀式”を習慣にしています。この儀式を始めたのは四十年ほど前、脚本家・作家の向田邦子さんの作品「あ・うん」がきっかけでした。1980年にNHKでテレビドラマが放送された翌年に同じタイトルで向田邦子さん自身によって小説化されています。

「あ・うん」の冒頭は、軍需景気で羽振りのいい門倉という男が、親友の仙吉の栄転が決まったため新居の支度に奔走するところから始まります。
仙吉、妻たみと長女さと子、仙吉の父の4人は汽車に揺られ高松から東京にたどり着きます。新居の扉を開けると、真新しい畳と炭火をいけた火鉢、栄転祝いの鯛や酒が並んでいる。仙吉はすでに沸いている風呂の湯に手を入れてしばらく動かない。
一方の妻たみは…
米びついっぱいに米に深く手を差し入れたままじっと動かない。
娘が「お母さん何をしているの?」と聞くと「あたたかい」と答える…
この私にとって大切な儀式の場面を読み返そうと、私は本棚から小説を引っ張り出したのですが、 “手のひらに米をすくい上げてはこぼす” とあるものの、たみは米びつに深く手を差し入れてはいないし「あたたかい」という言葉も見当りませんでした。
これは小説に書かれた描写ではなくて、ドラマで演じられたシーンではないか。向田邦子さんは門倉が親友の妻へ寄せるプラトニックな思いを、ドラマの脚本ではどう描いていたのか。どうしても気になる。
私の大切な儀式の答えを確認しようと「向田邦子シナリオ集」のページをあわただしく捲って探したのですが、シナリオ集も小説も同じように米をすくい上げてこぼすと書かれていて、米びつに深く手を差し入れて…という表現はありませんでした。
いままで行ってきた新米の儀式は私の空想か、もしくは映画版とドラマで演出が違うのか。
どちらにしても40年以上も前に見たワンシーンが印象深かったことは間違いありません。
家庭内の日常に軍需景気や招集令状の話がじわじわと入り込み戦争へ突入して行く不安な時代だからこそ米びつは男女のいびつな愛、風呂の湯は男同士の友情の機微として、手のひらに確かな感触を残したのだと思います。嗚呼、門倉という男の愛はなんと深いのでしょう。中秋の名月に5キロの米を背負い歩いた私の心も受け止めてほしい。

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