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人生万事塞翁が馬

人生万事塞翁が馬ということわざが好きだ。
とある故事がもとになってできたことわざだ。

【塞翁が馬】さいおうがうま
《「淮南子(えなんじ)」人間訓から》人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。
「人間万事―」

昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。

『デジタル大辞泉』(小学館)より

一見不幸に見える出来事があっても、後からそれが幸運に転じることもあり、その逆もある。
幸不幸は安易に判断ができない。

確かに、その時はどん底でも、後から思うと幸福に転ずるターニングポイントだったなと思うことは少なくない。

以前私はデスクワークの派遣社員をしていた。

仕事は安定しており難しいことも無く、職場の人もドライだがいい人達だった。
なにより給料が高く、社内の無料カフェなど福利厚生も充実。
これ以上ない好条件だったが、その仕事に全く興味が持てず、毎日毎日なんの関心もない仕事をして、定時になったら即帰る日々。

だが、条件は非常に良く、辞める踏ん切りがつかなかった。仕事などつまらなくて当たり前と思い込もうとしていた。

そこでコロナ禍が来た。
派遣社員だった私は、人員削減で真っ先に首を切られた。
まあ、仕方ない。そういう事も含めての高時給である。

一念発起して正社員を目指すことにして、前々から興味のあった業界へと転職。
色々あったが、前以上の給料を頂けており、職場の人間関係も良く、なにより興味のある仕事なので、非常にやりがいがある。

派遣切りの時はショックだったが、あれが無かったら未だになんの興味もない仕事を黙々としていたのかも……と思うと恐ろしい気持ちになる。

派遣は有期雇用で、そのうちまた仕事を探すことになったと思うが、
今の業界は職場によって非常にアタリハズレが大きい。今のような当たりを引けていたか、わからない。

人生はどうなるかわからない。
いま最悪だと思っていても、あとから思うとターニングポイントだった、幸福だったと思うこともある。

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