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クレメンタイン
わたしがマトモに学校に通い出したのは、小学3年生の夏休みが明けた頃からだった。
理由は”家庭の事情”。当時被虐待児でがっつりネグレクトを受けていたわたしは、学校どころか食事や風呂もままならない生活を送っていた。母親は男と毎晩夜遊びに出かけ、弟とわたしはココアの粉を舐めたりして空腹を紛らわせた。
一度、ステンレスのマグカップをレンジにかけてしまったことがある。当然、マグカップは激しく火花を散らし、あわててレンジから取り出すもマグカップは少し溶けてしまっていた。
その時、わたしは子どもながらに、自分たちが恐ろしく無知なこと、でも自分たちの事を誰も守ってくれないこと、だから弟と協力して生き抜かなければいけないことを悟り、心底恐ろしい気持ちになった。
ずっと学校に行ってなかったから、わたしは10歳にして九九も時計の読み方も箸の持ち方も友達の作り方もなにも知らなかった。九九と時計の読み方は教えてもらい、箸の持ち方は自分で矯正した。
箸の持ち方などで人々が人間性や育ちをジャッジするであろうことを、自分が今のままでは箸の持ち方ひとつで嘲笑されるであろうことを、まだ小学生のわたしはなんとなくわかっていた。
学校に行き始めたものの、もちろんすぐには馴染めなかった。先生は優しかったしクラスメイトも親切だったが、当時のわたしはコミュニケーションよりも活字に飢えていた。図書室に足繁く通い、学校で表彰されるくらいたくさんの本を読んだ。
昼夜問わず、ジャンルも問わず、とにかく本を読み続けた。本が自分の居場所のようだった。本の世界に入り込む時の、だんだんと世界が遠のいていく、音が聞こえなくなっていくような、意識が無意識になっていくような感覚がすごく好きだった。
そのうち、学校にも馴染み友達もできはじめた。誘われてサッカークラブなどにはいり、すっかりわたしは社会に溶け込んでいた。徐々に読書量は減っていった。
エターナル・サンシャインという映画がある。そこに破天荒な女性、クレメンタインが登場する。
彼女はわたしの憧れである。髪の毛を派手な色に染め、自分の意志が強く、はっきりした物言い。性格はきつく人を平気で傷つけるが、嫌いになれない。
わたしはクレメンタインになりたい。自分の人生は今までどうしようもなかったが、これからは多少破天荒にやりたいことをやりたいと思う。
毒親育ちの人生は周回遅れ、とSNSで見た事がある。全くその通りだ。みんなが結婚して出産してる時に、わたしは一人でタイ旅行の計画を立てている。でもこれでいいのだ。周回遅れの人生を愛している。