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ハラクニさん、noteをはじめる。

私の話。

略して「ハラクニ」。
昔は「東海じゃらん」という旅行情報誌の編集長でした。
その繋がりでいまも「日本旅のペンクラブ」の会員だったりします。
観光地や温泉地や、そこのグルメ情報が得意ジャンルです。

本職は、日本最大級の老人ホーム・介護施設の検索サイト、
LIFULL介護(ライフル介護)の事業部長です。

私は埼玉の普通の小中高を出て大学に行きました。福岡から中学卒後単身で出てきて、身を粉にして働いてきた父親と母親のために、彼らでも名前を知っている大学に入ろうと決めていて、結果的に早稲田大学に入学しました。2人とも喜んでくれて本当に嬉しかったのを覚えています。いまでも母校のことは大好きです。

さてその大学時代も終わりのころ、私は新聞社か出版社に入りたいと思って就職活動を開始しました。そして幸運にも希望した某新聞社に、自分でもびっくりするくらい順調に内定をもらうことができました。私は97年新卒なので就職氷河期の始まりの頃。たしかGW前には結論を出せていたので、幸せな状況だったと思います。

浮かれた気持ちもあったのかもしれません。
私はその頃やっていた『学生の就職活動の実態調査』というモニターバイト(2時間くらいヒアリング担当の人に自分の状況を話をするだけで3000円くらいもらえるおいしいバイトでした)の担当者に「おかげさまで就職活動が終わりました。なのでモニターはもう受けられなくなる」と、ちょっと自慢気な気持ちで、連絡をしました。

で、このモニターバイト。当時リクルートが実施していたもので、後でわかるのですが、このリクルートの担当者は新卒の人事採用担当者で、リクルーティング活動の一環がこのモニターバイトだったんです。

この後すぐに「リクルートも面接を受けないか」という連絡があり、そのまま面接に呼ばれ、リクルートのすごさ、入社後のワクワクするような事業の数々を聞き、私はすっかり感化されてしまいました。しかも2回目の面接で即、内定が出るというすごいスピード感にも感動してしまいました。

私はその場で新聞社に断りの電話を入れて、そのままリクルートにお世話になるのを決意しました。これが入社の経緯です。

これ、今では完全アウトですね(笑)そんな時代だったんだなと思います。

リクルートでは17年お世話になりました。とても勉強になりました。
自分のいまのビジネスの基盤になっていることは、ほぼここで学んだものです。「大事なことはみんなリクルートから教わった」ではないですが、まさにその通り。この経験がなければ今の自分はいません。

このnoteの話。

私の恋愛遍歴やダイエット日記を見たい人はいないと思いますので(いるならぜひ教えてくださいwww)、私はここで今でも役に立っていると思っているリクルート時代に身に付けたスキルについて書いていきたいと思っています。それは大きく分けて2つ。

・リクルート流の「編集」という技法
・リクルート流の「営業企画」という技法

あの会社が飛躍的に伸びたとき、裏側にはこの技法が必ず存在していたと思います。

いま「LIFULL介護」というビジネスを担当していますが、ここでもこの2つのスキルを使って、課題を解決したり、方針を決めています。結構使えるなぁ、って実感することも未だにあります。

このnoteでは、バカな話もすると思いますが、基本的にはこの2つのスキルについて、自分なりの整理や考えをまとめていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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