自分の中に毒を持てを読んだ感想
1.本を読んだ経緯
現在、コーチングの勉強をしており、その仲間がオススメしている著書であったこと、著者である故・岡本太郎氏を知っているがイメージに留まっていたので、もっと知ってみたいと思ったことが経緯である。
2.概要と感想
この本を読んで最初に感じたことは、私が学生時代(30年以上前)にイメージしていた故岡本太郎氏と全く異なる人物であったということでした。具体的には、アート思考の芸術家というイメージを持っていたが、この本を通して、それはほんの一部に過ぎず、極めて弁がたつクレバーな人物であったということでした。また、最近になってデザイン思考、アート思考がビジネスで大切であると言われているが、著者は、すでにその思考を持っていたことに驚きを感じさせた。
著者は「芸術は爆発だ」と言葉にしていたが、芸術とは「人間の生きることそのもの」として捉えており、爆発とは、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続ける生き方と捉えている。それは、「私たちは、なぜこの世に生まれてきて、生き続けるのか?」の問いに対して、「自分という芸術を生きるということ」と著者は答えている。また、生きること、それは本来、無目的で非合理なことと説いている。
だからこそ、自分自身を押し殺し、周りに合わせて(=常識人間として)生きるのではなく、自分の人生を芸術作品のように目標、目的をもって描いて生きていかなければならない。それは決して楽な道のりではなく、何度も立ち上がって挑戦し続けることが一番人間らしい生き方であるということを学ぶことができた。
違った視点での感想も述べておきたい。著者は、恵まれた環境に生まれてきたことが選択肢を増やし、自分の志を貫くこと、やりたいことを実現可能にしたと感じる。経済的なもの、家族的なもの全てである。著者はそれをどのように感じて、捉えて、この本を書いていたのか知りたいと思った。私も比較的に恵まれた環境に生まれてきたと感じている。しかしながら、著者のように選択肢を多く持てなかった、チャレンジした人生を歩むことが出来なかった。
言いたいことは、全ての人が著者のように生きられない。むしろ著者の要に生きられる割合の方が少ないのではないかと感じる。従って、恵まれた環境に生まれてきたのであれば、そのチャンスを活かす人生を歩めるような仕組みがあれば、より多くの人々の人生がより充実したものになると感じた。その手段の一つとしてコーチングがあるのかもしれない。また、中には恵まれない環境に生まれた場合、著者のように自分を貫く生き方は出来なかったはずである。中室先生の『「学力」の経済学』の著書で述べられているように、著者のように私学の小学校に進学や留学する選択肢は無いはずである。この答えは持っていないが、教育業界で働いている仕事柄、そうした誰もがチャンスの持てる教育制度、世の中にしていきたいし、その一助となる機会があれば関わっていきたいと感じた。
3.コーチングの学びに向けて
著者の考えは、コーアクティブコーチングと非常に親和性があり、この本がコーチング仲間の中でなぜオススメなのかが理解できた。また、私がコーチングをはじめたいと感じた気持ち、志と重なる部分がとても大きい。著者の「常識人間を捨てられるのか」という問いは、私がコーチングを通して実現したい自分の姿でもある。特に社会人になってから、周囲の視線や雰囲気に合わせたりと自分を偽って生きてきた、それが年を重ねるごとに苦しくなっている自分がいることに目を逸らすことができない状況になってきた。だからと言って、ありのままで世の中渡り歩けるとは思っていない。社会や職場、家族のルールを守ったうえで、挑戦する、自分らしい人生をコーチングと共に歩んでいきたいと思っている。