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少年院に行ってきた

こんには、とうどうです。ご招待をいただいて、ある少年院に見学に行ってきました。


実際に少年院を訪れて知ったことをみなさんに共有しようと思い、noteを書いみます。

■ざっくり目次
1.少年院の中に入ってみて
2.少年院はなんのためにあるのか
3.働かれている方々
4.所感:被害者について
5.所感:再犯について


1.少年院の中に入ってみて


訪れたのは新潟少年学院。めちゃくちゃ新しくてきれいです。少年院に入るところから案内をしてもらい、廊下から部屋を覗かせてもらうと、少年たちがリコーダーの授業?を受けていました。講師の方が「ちょっと今違う音がでたね。もう一度」と指導していたり。

他にも木工であったり、書道などの科目があるようです。

ここだけみると、自分が授業参観に来たかのように思えます。

けれどその後、個室や集団部屋を見ると、やはり「収容されている感」はをがっつりと感じます。少年たちみんな坊主頭だし。

当たり前ですが、警備は厳重。

また面会室も印象深いものでした。

刑務所の面会室といえば、穴がポツポツ空いた透明の板にしきられていて、そこから当人と家族が話したりするイメージ。

少年院ではオープンなスペースで、そうですね、カウンセリングルームが近い感じ。温かくリラックスした雰囲気をがんばってだしているようでした。

出院にむけて、少年と家族の関係をよりよくするためにこのような工夫をしているとのこと。

早くも、ここまでの段階で「あれ?少年院ってこんなところなのかな?」と疑問が湧いてきます。そもそも、何のためにある施設なんだったっけ?


2.少年院はなんのためにあるのか


そもそも少年院とはなにを目的としているのでしょうか。

ぼくは「犯罪を犯した報い、刑罰を受けるところ」「そして少し更生への教育もするのかな」というイメージを持っていました。

Wikipediaによると「従来の生活環境から切り離して教育を施す施設」とあります(人生で初めて「少年院」で検索しました)。

罰を受ける場所ではなく、教育を施す施設。

これは、少年院の院長およびスタッフのみなさんからも、幾度となく聞いた言葉でした。

法を犯すのは自己の要因と環境の要因がある前提で考えるとすると。

特に少年については「しんどい環境」(それは地域における上下左右の交友関係だったり家庭の状況だったりもするのでしょうが)から完全にかつ一定の期間離れて、教育と反省の時間をもつことが、当人にとっても社会にとっても意味があるという事だと理解しました。

3.働かれている方々

今回はこの少年院のスタッフ(という言い方も適切かわかりませんが)の方々に施設のご案内をいただきました。

なんというか、みなさん丁寧なだけでなく、やわらかい姿勢をもって接していただけたことも事前に思っていたことと異なる点です。

ほんとうに、ほんとうに失礼なのですが、僕の中で少年院というと、福本伸行の「無頼伝・涯」というマンガにでてくる恐ろしい管理施設が連想されてしまい…あとは本宮ひろ志の昔のマンガ「男樹」とかですね…

全然違いました。

なにも知らない前提で、「少年院の仕組み」について、パワーポイントでプレゼンまで行ってくれました。その後の意見交換でも、率直にかつ真摯な受け答えだったのが印象的。


4.所感:加害者と被害者について


法を犯して少年院に入っている人は、社会からみると確実に「困った人」な訳です。これはもう疑問の余地はない。

けれども

「困った人」は困っている

という言葉が示す通り、当人もまた法を犯した自己の生育歴とその周囲にある「しんどい環境」において困っている可能性も高い。

なので少年院という閉ざされた「精神と時の部屋」みたいなところで、一定期間の環境調整と、集団教育のやりなしに浸かることは本人にとってもよい可能性を生み出すのではないかとすら感じました。

とはいえ、少年院に入る原因となった犯罪にもよりますが、ほとんど事件の場合「被害者」が厳然と存在します。

その被害者に対して、どのような回復への道が選択肢としてあるか、というとこれは絶対的に不足しているでしょう。現状全然足りていないでしょう。

その上で法を犯した加害者だけが更生できたとして、事件の被害者は救われるのか。

5.所感:再犯について


できうることは、「少年に再び法を犯させない」という一点なのだというのがいろいろなお話を伺っての印象です。

被害者も本当に多くの感情や考えがあると思いますが、「加害者の少年よ、二度と罪を犯してくれるな」という点に関してだけは同意されるはず。

スタッフの方々、本気で寄り添っています。少年院にいながらがんばれば取れる高卒認定の資格も何人もの少年が受かっているようです。少年たちも中では努力をしている。

となると出院の時が来て、つまり「精神と時の部屋」からでて、地域にあるしんどい状況の中で、なんらサポートなく生きていくことこそが難しい。

「いやいや、そこは強くなろうよ」「あらゆる誘惑を意志の力で断固拒否しようよ」と、言うのは簡単ですが、薬物依存からの回復を書いた、松本俊彦「薬物依存」からの言葉を紹介させてください。

意志の力だけで状況と戦うのではなく、「どんな状況が危険なので避けるべきか」「そのためには、どのような資源や武器があるか」「頼れるひとをどうやって見つけるか」といったナレッジのほうが少年の役に立ちそうな気もします。

そもそも意志の力でどうにか、というアプローチは失敗確率が高い。

でもまあ、普通に考えたら、出所後の判断、再犯の前に例えば悪友たちとの縁を切ることからして難しいようでもあります。つながらない、と決意しても、少年院からでて孤立した状態で地元で何年もアプローチを受けるわけですから。

少年院の意義をややわかってきた僕ですが、これからは出院後のサポートプログラムの充実が重要になるだろうし、またその機能については、被害者軽視という議論も起きるのだろうなと感じました。

この問題、僕の胸に響くものがあります。

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