見出し画像

#女川ゆっふぃー祭り のあとで


ド鬱

 ホルモン剤である程度押さえたはずなのにホルモンバランスが暴れ、仕事が立て込み、そしてほぼ7年ぶりの夜行バス移動を後悔していたころ。
 現場も久しぶりなので人と話せる自信がなく、どんなにかつては仲良くしていても2ヶ月経つと一切話せなくなる頭のおかしい人間の私が、これまた特性バリバリのまま勢いで当選させた「女川ゆっふぃー祭り」のツアー付きチケットのメールを眺めていた、ド鬱のまま。
 生き延びれねえ、孤独の2日間に、なりそう…いや推しのライブが主目的だから!大丈夫大丈夫!を行ったり来たりしながら、前日の夜行バスに乗った。つくづく、精神不安定な私はヲタクをやると死ぬ。

 汗でベタベタの体にやはり夜行バスを後悔しながらなんとか女川駅に着く。Suicaが使えないのを忘れて現金精算。落ち込みの極み。
 それで、ふっと精算を終えて顔を上げると、かつて見た女川の景色が変わらずあった。ここに来たのは6年前、やはりゆふちゃんが女川に来た年だった。
 海がまっすぐ見える。
 化粧も日焼け止めも何もない顔とめちゃくちゃな寝巻きのまま、ふらふら海に向かった。
 落ちた気分はあっさりと晴れた。海が迎えてくれた。開けた視界に曇るところなどない。歩く度に近くのスピーカーから、聴き慣れた曲が流れてくる。
 お祝いってピュアな気持ちになるなあ、と浄化を感じながら、とことこと浜焼きを眺めて風呂のため駅に戻った。ゆぽっぽは一番乗りだった。

 時折見知った顔ににこにこと声をかけられ、ふわっと輪に入らせてもらい、朝からお酒を飲んで、美味しいものを食べて、気が向いたら別のところへ抜け、気ままに歩き回った。
 暑さでやられまくって満足にはいかずとも、ぐっと前より女川を楽しめた気がする。気負いなく、ゆるやかで、明るい街だ。

 あわてて前物販に向かい、汗の引きを待ち、またライブで汗をかいて、なんかやっぱり気負いはなかった。純粋に楽しい。
 目の前の推しは初めて見た時もきらきらしていたのに、年を追うごとに(たまにギラギラしたかもしれないが)もっときらきらしていて、不思議なものである。
 観光大使になってにこにこしている推しも、素敵な街のえらい人たちと話す推しも、シーパルちゃんに目尻を下げまくっている推しも、もちろん歌って踊る推しも、なんだか全部まぶしかった。
 ツアー付きにして良かった、明日これ楽しいな…ライブが終わって、夕飯にピザを食べて、石巻線の終電に駆け込みながら、翌日のことを思えた。

 で、バスが来なかったのだが。
 女川駅前は若干面白がっているタイプのざわつきを見せ、勇敢な紳士たちが果敢にも徒歩移動を敢行する中、高橋社長が颯爽とピストン輸送に現れたりもした。
 気力はあっても体力がおしまいの私はしかし、社長カーというわくわくも捨てがたかったところ、なんとなくピンときたのでお財布に任せてタクシーを呼んだ。
 タクシーの無線から、次々と女川駅に向かうのが聞こえ、訛りの運転手さんが「今日は何かあるのか」とお尋ねになるので、少し考えてこう答えた。
 「観光大使のバスツアーです!」

 メカ大好き工場大好き人間には垂涎の工場見学、あまりにも歓待が整っている社会福祉協議会バスのピストン輸送、運転手も昆布巻屋さんの社長、マグロ解体ショー、会場提供まで、女川のありとあらゆるが詰まったツアーだった。
 それは女川の人々のホスピタリティあってこそだし、強さとあたたかさあってこそだし、それを動かせる寺嶋由芙という人の一本芯だろうと思う。ヲタクはそれを享受させていただいている。少しは報えただろうか。ぜんぜん足りない気がして、まだまだ女川にいたかった。
 とうとう解雇回避の実績を手に入れ、ツアーの締め、町への想いを語るゆふちゃんは、やっと涙を流した。後ろで高橋社長が、ちょっと満足そうに笑っていらした。

 石巻線から海を見ながら帰る。
 私は女川の良いところしか知らなくて、かつての歴史を実体験したわけではなくて、それこそゆふちゃんが語ったように、どこか後ろめたい気持ちが、6年前はあった。今もある。
 あたらしい街並みは、でも、人々の力だ。穏やかでも活力に溢れている。潮風は今も元気をくれる。
 次はいつ来ようか。行こうかというよりは、なんか、来ようか、という言い方がしたい。ゆふちゃんが愛する町は今、私も好きな町になった。


由芙「ねえ(弊社キャラ)その辺にいっぱいいるね」
わし「7月はそういう月なのでね」


わし「っていう会話が特典会であった」
主任「あなたの推しはなぜ(弊社キャラ)を知ってるの…?」


日常は続く。またいつか、のために。

この記事が参加している募集