「いきている」推しへのキモヲタクソポエム

 マジで元ツイが見つからないのだが、Vtuberの推しができて、推しが生きてる!みたいなよろこびツイートを見かけて共感が止まらなかった。

 なんでも手を出すヲタクなので、私は今3タイプのコンテンツのヲタクをやっている。
 同じ世界に生きる生身のアイドル、命はあれど我々の現実とは隔たりのあるVtuber、作り出された架空の存在(ちなみにアイマス)。
 大きな違いは「命がどこにあるか」なのだけれど、あるから良い、ないから悪いとかではない。いずれにも違う楽しさがあって、違う切なさがある。
 そういうポエムをしたためたくなった。元ツイ主、ありがとうございます。

・アイドル
 生きている。会話できる。握手会参加したことある。一緒に写真も撮れる。なんなら2人でポーズを共に作れる。生身。
 生身だしお互い感情がある。推しに嫌われたくない。同担にも嫌われたくない。自分が厄介なのは分かっているよ…という面倒な感情すら生まれる。これは私の場合なので各位は気にしないでください。
 同じ現実にいるので交わるようで、一生交わらない。目に見える推しの、目に見えない人生がある。もどかしいと思う人もいるんだろうなと思う。切ないね。目に見えるものを信じていれば良いのだ。
 でもいてくれて嬉しい。アイドルになってくれてありがとう。出会えてよかった。同じ空の下で推しが楽しく仕事してるなら頑張れる。また会いに行ける日を楽しみにできる。
 一方、ヲタクと同じ人間なのでいつかその命は途絶えるし、どこかでその道ではない道に進むこともある。推しの気力と努力と時間とを、我々は味わわせていただいている。健やかでいてほしい。

・架空の存在
 どこを探しても真の推しには会えない。声も姿も描かれるけれど存在はしていない。手が届かない。意思疎通の術はない、一生の片思い。どうにかして触れたいと思った時に人は異世界転生を夢見るのかもしれない。
 作り出された世界で、作られたシナリオに沿って動く。私たちが好きだと思うのは作り出す人の脳、あるいは知の結晶。でもそうだとは思わず、「そのキャラクターを推している」気になっている。
 あるいはその声から好きになる人もいるだろうか。何をとっても、でもその存在を「存在」たらしめることはない。架空は架空。
 その存在に、即時的に観測できる、感情の揺らぎや思考はない。開示された情報以上のものがない。裏を返せば、実在のものとは違って、余白がある。
 我々はそこから肉付けをし、枝葉を広げ花を勝手につけることも時にある。コンテンツは気がつくと、私好みの推しになる。そしてたまに公式と解釈違いを起こす人もいる。
 コンテンツが終わらない限り更新の可能性があって、更新されなくてもデータが残り続ける。永遠に命を保てる一方、永遠にこの世には生まれない。
 哲学なんだなあ…。

・Vtuber
 我々の世界にその姿は存在せず、しかし命も感情も思考もある。動いて、変化があって、人格があって、時たまレスをくれて、いなくなることもある。でも同じ現実で知覚することはできない。隔たりのある存在。
 科学と技術と魔法とでも言おうか、生身の人間にないあらゆる可能性を作り出すことができる。架空の存在以上の想像の余地を生み出すこともある。憧れと同時に、その大きさに羨望を向けているのかもしれない。
 もちろん先述の通り人格があって、だからやっぱりヲタクとしては嫌われたくなくて、そしてどうか推しには健やかでいてほしい。
 その存在の、我々の目に見えるストーリーがいつか終わっても、私たちの知らない世界で推しの人生は続く。でも交わることが絶対にない。もどかしさはない。だって同じ空の下にその姿はないもの。
 知らない世界で生きていてくれるの、ヲタクの私の中ではなんか一番嬉しいかもしれん。 

 生きている推しも、この世界でないところで生きている推しも、生きていない推しでも、推していれば活きている、と思う。
 推しが活きていることを活力に私もまた生かされている。明日も、その先も、いきいきとした推したちを眺めるのが楽しみだ。
 私の前に現れてくれてありがとう、全ての推し。今日もあなたの「命」のあらん限り、そっと推し続けます。

 あの、元ツイっぽいもの見かけた方、情報ください…。