からだと言葉と声と
今、「岸辺露伴は動かない」をAmazonプライムで見ています。
オンエア中も面白そうだとは思っていたのですが、ついついテレビで見る機会を逃していたのでした。
その中で、シーズン1のエピソード2「くしゃがら」という内容はおもしろかったです。
森山未來扮する漫画家・志士十五(ししじゅうご)が使用禁止言葉として編集者から教えられた「くしゃがら」という言葉が気になっているのだ、という相談から始まります。
話の筋とは違うのですが、森山未來の身体の使い方がおもしろくて、話の筋そっちのけでじっくり見てしまいました。
とにかく、四肢全てを使って表現しているので異様なのです。
身体のつながりが途切れているところはなく、とてもしなやか。そして身体の重心は低くなって、どんどん地面に近づこう、近づこうとします。
現代の大人はそんな身体の使い方をして言葉を喋ったりしません。
高尚な話、頭を使った話をすればするほど、上半身に注意が行きがちで、下半身とのつながりがない感じがします。
なので、ちぐはぐな身体の動きをしながら話す頭のいい人は世の中にとても多いように思います。重心がとても高いです。
かくいうわたしも、人前で喋る時にはついつい重心が高く、腰から下の存在を忘れがちになります。
つながった身体の持ち主は声がもう違います。身体がつながっているから、声が違うのかもしれません。
どんどん話がずれました。
とにかく、森山未來はやりすぎなほど、身体を使って「くしゃがら」という言葉に取り憑かれた人を演じました。
番組の後半、その言葉から離れられた時には、彼はもう現代人のような動きをしていました。
昔、中島敦の「文字禍」を朗読劇にしたことを思い出しました。
アッシリア帝国時代に、文字には霊がいて、その霊にやられてしまうという話です。
難解な言葉で綴られているのですが、文章を説明しようと朗読すると、言葉が上滑りするので、全く無意味な動きをずっと伴わせて、逆に言葉のリアルを追求しようとしました。
逆にその動きを見てしまって余計言葉が入ってこない!とも言われ、確かに実験的な試みでした。
先日「マチルダ!」というミュージカルを見てきました。
物語が大好きな小さな女の子の世界をわかる大人と、わからない大人がいること。
言いなりになっていてはいけない!と立ち上がっていく一人の少女と、学校の子どもたちのお話です。
ロアルド・ダール原作なので、ちょっと不思議な世界観もあり、6歳のマチルダがしゃべる言葉が、まるで大人のような言葉です。
実際の役者も10代以下の子どもたちも多く出ていました。
演者の子どもたちがわからない言葉も多くあったと思います。実際マチルダのセリフは難しい言葉がたくさんあって、その量にやられているところもありました。けれども、わからなさを超えて、それらをはねのけて、一番言いたいことはこれなんだ!というところへ一直線に向かう声と歌と身体はとても迫力がありました!何度も拍手しました。
言葉と声と身体。
このつながりは普段の会話ではあまり注目されないかもしれませんが、
頭でわかる前にわたしたちの身体ではもうすでにわかってしまえるのだと思います。