単身中国へ渡って留学。カルチャーショック。

前回の続き。
2006年3月、北京へ語学留学。
入学手続きが終わり、学生寮へ入るかどうか確認されましたが、お金に余裕があったので、学校近くのアパートに住みました。確か月1,500元(約22,000円)だったと思います。
1DKの30平米ほどの間取り。
そこで暮らし始める。
登校初日は、クラス分けテストが行われ、基礎から学びに来たのですが、基礎的なところは身についていたのが災いし、初級ではあるものの、中級に近いクラスになってしまう。
クラスメイトには日本人が2人いて、他8割が韓国の大学生でした。大学生より少し年上の自分は、オッパー(お兄さん)と呼ばれてました。中には40代の韓国IT大手企業から会社命令で来ている人、50代のキューバ人、30代メキシコ人等、国際色の溢れるクラスでした。

平日午前中は学校へ行き、授業を受けて、午後は自由。
自習室と言うスペースがあり、日本で言う図書館のようなところでお勉強も出来ますが、家に帰って勉強していました。

5月に入ると、当時仕事を辞めた彼女を家に招いて同棲をスタート。学校で中国語の授業、家では中国語を教えてもらい、完全に日本語を話す機会が無くなる生活になりました。

時が流れて8月、夏休みに入ります。
彼女の実家である四川省へ約10日間行きました。
最寄りの空港から、バスで5時間、とある街に着くとバス乗り換え。そこから1時間ほど走ったところに山の麓の小さな村に着きます。やっと着いたと思ったら、そこから登山1時間。
何本も枝分かれした山道。絶対1人では行けないところに、彼女の実家がありました。
正直、着いて早々帰りたい、と思いました。
彼女のお兄さんが出迎えてくれました。
しかし、聞き慣れない言語で話すので、全く通じ合えないのです。ここは四川省山の中腹。この地域だけで使われている四川語で、四川語にも標準語があるのだと、初めて知る事になりました。

長くなったので続きは次回。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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