「日本独立」創刊プロジェクト 唯一の戦争被爆国としての日本の針路 「核廃絶への道 隠された被爆者」②

事実を隠す巧みさ
この件に限らず、原爆の問題も含めて、資料に対して向き合っている人たちが少なからず米国にもいることも事実です。資料や事実を示せば理解できるアメリカ人が、ナショナル・アーカイブスに行けばたくさんいる一方で、事実をねじ曲げた形で公表している政府の発表をそのまま鵜呑みにする人が大半だというのが現状です。これはアメリカ人に限りませんが。
 ただ、前者の良心的というか、本当に真実を見ようという姿勢の人も、確実にアメリカにはいますので、そういう人たちに届くように伝えていかなければと思います。
事実は、後の人たちがどんなに覆い隠そうとしても、変えられないのですから。

 もう一度、言いますが真実は巧みに隠され続けてきました。私は、この事実を高橋さんから聞かされた時に あまりの巧みさに驚きを隠せませんでした。
日本政府と違ってアメリカ政府の場合は、文書管理がかなり徹底していて、しかも整理されているので、たまたま出てしまうということはなかなかありません。90年代になって、エネルギー省関連の資料、特に人体実験に関する資料が公開されてくるんですが、その大きなきっかけは『アルバカーキ・トリビューン』紙の記者が書いた記事です。そういう大きな引き金がないと何も動かなかったと思います。
 ただ、公開するとなったら、かなり整理した状態で出てきます。おそらく日本政府は、何の区別もなく全部隠しているから、情報を入手できないし、管理もずさんです。情報のコントロールが行き届いているアメリカ政府は、公開したとしても肝心なところを隠して公表しています。現に本書の資料を集めるためにアメリカの資料に再度、当たりましたが、秘匿期限を過ぎたものでも整理中という理由で開示されていませんでした。
肝心なところは抜いているのです。つまりこの情報がどういう質のもので、どのランクなのかを知りながら、選択的に情報を出していく。この核実験について言うと、核実験の影響は大したことがないものを公開し、深刻であるという情報は秘密にしているということです。
原子力委員会の生物医学部関連の資料に、スペシャル・ケースファイルというのがありますが、
「この資料の中に福竜丸関連の資料が入っていると思って、情報公開請求をして出てきた文書があるのですが。その文書が国立公文書館に行くと、エネルギー省の担当官から機密扱いなので、見ることはできないと。核の問題については、 幾重にも秘匿の壁が立ちはだかります。

 人体実験されたマイノリティ
 人体に対する影響調査といえば、柔らかく聞こえますが、人体実験と呼んでも過言ではないと思います。 特に対象となったのはマイノリティの人たちでした。マーシャル諸島の人たち、あとはアラスカで行われた「人体実験」もあります。
1950年代、イヌイットの人たちが人体実験の対象にされました。きちんとした説明もなく人体実験をさせられたということで、それを問題視した記述も、このレポートの中には書かれています。
文書公開が徐々に進むレアリー長官時代でした。しかし、その後、公開基準がどんどん厳しくなって今だったら出てこない可能性さえあります。
イヌイットの方たちは、英語を日常的に使っていないですよね。そこで詳しい説明もなく、実験台にされたと。
表向き、彼らは英語で十分説明したということにはなっています。理解できようと理解できまいとに関係なく、説明したという実績、アリバイは作っているわけです。
ヨウ素一三一を注射されたイヌイットの方はは120人。
白人が19人。
 エスキモーが84人で、ネイティブアメリカンの方々が17人。
 この場合は、核実験による被爆ということではありません。アラスカでの核実験はこの時点では行われていません。だから本当に人体実験です。
意図的に注射して被爆させたのです。アラスカの場合、50年代に人体実験として注射されたりしているのですが、60年代には核実験の候補地として挙がって、プロジェクトが動き出したけれども、キャンセルされたというエピソードも書かれています。やはり言葉がわからないからということで候補地に入れ、それを英語のできる人に後で聞かせて、そのときの差別的な発言が後で問題になっています。マーシャル諸島の場合も、大丈夫だったという説明を原子力委員会の委員は当時していたわけですが、それもうそに塗り固められていました。

 真実に向き合うことの難しさ
ABCCに関する調査も重要です。ABCCに関する文書を収集する過程で。特に出産関連の調査だったり、遺伝研究だったり、占領期のABCCが主にどういう研究をいかなる姿勢でやっていたのかを調べました。
 この機関は、7万5000人も調査しているわけですが、新生児の出産を一件通知するごとに、五〇円を支払っています。当時の物価は、白米10キロが約640円。ボーナス、謝礼の一割の250円を合算した金額を支払ったと。これも公文書で、アメリカの科学アカデミー文書館にABCCの文書があり、その資料に記述されていました。

科学アカデミーがABCCの管轄機関、しかも、スポンサーは原子力委員会の生物医学部です。
今も昔も似たようなことが行われています。「プランデミック戦争」という本に書きましたがWHOと特定の財団、遺伝子製剤(世界的にはコロナワクチンと呼ばれている。)における製薬会社とそれを認める機関との関係にも似ています。ここでも
スポンサーシップを原子力委員会が持っているのです。
ファンドは原子力委員会から出ていますし。ですから、放射線の人体への影響の研究そのものは、核実験の責任者でもある原子力委員会がかなり握っていたと言えます。
まり、調査によっては自分たちが責めを負うかもしれない、負うべき人が調査していた。審判を相手チームの人間がやっているようなものです。
そしてそれが長らく検証されてこなかった。噂はあるし、みんなそう感じていたけれども、本格的な調査は行われてこなかった。
こういう事実を共有し、真実から目をそらさない協力者、仲間が必要だと思います。どんなにそれが醜くて、受け入れがたくても。
私は、核を保有する人たち。日本も核の傘にあり、昨年は被爆地広島でこともあろうに広島出身という岸田首相が拡大核抑止に合意するという愚挙を行なってしまいました。とても容認し難いことです。
核は実験しなければ機能しないんだということを、国民のみなさんにも、アメリカのみなさんにも知ってほしい。自分たちの国民や多くの人たちの犠牲が出ていることを、もっと知ってほしいと思っています。今は地下核実験だから安全だみたいな人もいましたけれど、とんでもない話なんですよと。

 地下核実験の危険性
 地中に埋めるということは、地表に影響があるということです。大気中にはあまり行かないかもしれないけど、地表に影響があるということは、地表そのもの、あるいはそれに近いところが余計に汚染されるということになります。北朝鮮には大勢の被爆者が出ているおそれもあります。
閉じ込めようと思えば思うほど、逆に凝縮します。核実験の年表が参考になります。この年表を見ると、なぜ、これだけの回数の実験が必要なのかが、何となく見えてきます。1954年の核実験も、キャッスル作戦と言われて、6回行われるんですが、それぞれが条件・器具、あるいは配置を変えて実験しています。
1回や2回の実験では、核の信頼性は確保できないと言われます。
おかしいなと思うのは、54年の3月1日にブラボー・ショットで、被爆者を出すというのは大失敗でした。ところが、ストローズが3月末に声明を出す頃には、すでに2回実験しています。そして2回とも成功だったと発表しています。つまり、被爆者はなかったことにしつつ、実験自体は成功だったと言って実験を続行していたのです。(2024年政府は、mRNAワクチンという遺伝子製剤で多くの被害者を出しているのに、その失敗を認めるどころか自己増殖型遺伝子製剤(レプリコンワクチン)を世界に先駆けて日本国民に定期接種sせようとしている。)

年表で注目すべきは、実験回数と方法の推移です。始めは46年のビキニでの空中爆発と水中爆発。水中爆発を2回目でやって、そのときの放射法汚染の広がりが激しく、3回目は大統領命令でキャンセルされています。48年にサンドストーン作戦(エニウィット環礁)の実験があり、太平洋上で実験が行われます。51年に初めてネバダで行われ、空中爆発など様々な条件での実験が繰り返されました。
ソ連やイギリスなどの他の国も競い合うように核実験を繰り返しました。
空中実験がずっと行われ、53年に初めて水爆が出てくるんですが、その当時は、まだ爆撃機に搭載可能なものではありません。54年の3月のブラボー・ショットで、水爆の空中実験が行われ、これがターニングポイントになります。
ストローズはこれを2回とも成功だったと言い、実験を続行していく。その後、実験数は急増していきました。同時進行で放射性降下物に対する危険性の論争が起こり、核実験に対する批判も高まっていくのですが、逆に「核実験ができなくなるかもしれない」という意識が強まって、駆け込み的に増えて行ったのでした。
北極圏でもずいぶん核実験をしています。

 空中から地下核実験へ

 同時進行で放射線降下物の危険性論争が起きたのは、実験の一環として放射性降下物の計測調査の方法が発達して精度が上がったからです。北朝鮮や青森県の六ケ所村も同様に、計測網を使って調べます。それで大気中核実験に対する批判が高まって、大気中核実験は63年の条約で禁止されて地下核実験に移行します。その時点で、地下の実験技術が発達していたからこそ、大気中核実験を禁止できたとも言われています。一度、手にした核を何があっても手放さない。後世の人類は、この時期の人類の愚かさを驚きをもって嘆くのではないかと思います。それまで核の破壊的な惨禍から幸運にも免れていることを願いますし、絶対に自分がこの世にあるうちに核廃絶を達成したいと思います。

核実験年表の一番最後は70年代です。ただ、この後は大気中ではないので、大気中核実験の年表としてはここまで。また特に広島・長崎の場合もそうですが、高度などは重要機密扱いになっているので、なかなか公表されていません。広島・長崎も今は公表されていますが、高度はずっとわかりませんでした。
 本当に戦争をやめさせるためだけだったら、あれほど大勢の一般市民を巻き込まなくてもよかったはずなのに、できるだけ多くの人を殺すためにあの高度500mで爆発させたと言われてもしかたがないと思います。この放射線の影響は、半減期を考えても実に長い間、人々を苦しめるものだということを忘れてはなりません。 アメリカの原爆実験博物館を訪れた人が登録すると、一時間ぐらいかけてネバダの核実験場に行くツアーがあります。何度も何度も核実験をしていた場所です。ツアーの説明で、妊娠している女性は行けませんみたいなことが書いてあります。凸凹道で危険だからと理由をつけて。

 核廃絶は広島・長崎の問題と切り離せない

 ウクライナ戦争、中東危機、世界は、第三次世界大戦の危機、そして破滅的な核戦争の危機に直面しています。今こそ核廃絶に向けた動きが大切だと私は思います。
核廃絶の問題は、やはり広島・長崎の問題と切り離せなません。ところが、広島・長崎で起こったことさえ、アメリカ政府は認めていません。認めていないから、一部の米国会議員がこの人類史上最悪の大量破壊無差別攻撃を例に引いて今の戦争を正当化したりするのです。ガザ地区におけるジェノサイドを広島を例に正当化した米議員の名前を忘れることは決してありません。

威力はあるけれども、何十年間も人々を苦しめるような兵器ではないというイメージづくりをずっとしています。公式には、広島・長崎は空中高く爆発したために、放射線の影響はたいしたものではないという見解を持ち続けています。アメリカ政府は最初から、特に残留放射能の影響を否定する声明を積極的に出していて、その意味では、一貫した政策を採っているのです。日本政府もはっきり言って、それを踏襲する原爆症認定しか行っていません。原爆症認定訴訟は、そうした状況の中で、2003年の春に始まりました。
 『アメリカ政府の原爆情報統制と民間防衛計画』というタイトルの高橋さんの博士論文のテーマは、アメリカ政府がいかに、特に放射線の影響について情報をコントロールしていたか。その上で民間防衛計画を作っていたのかです。同じ時期に、今この原爆症認定を巡って日本政府に対して訴訟が起こされていますつまり、いまだに、しかも日本政府がそれを認めていません。原爆の問題、そして被曝の問題は、過去の問題ではなく、今の問題そのものなのです。
 アメリカ政府は原爆投下の深刻な影響について認めていないし、第二次世界大戦を終結させるのに成功した素晴らしい爆弾、スーパー・ボムである。その肯定的なイメージを国民に持たせたい。それを前提にした核開発をいまだにしています。日本政府の姿勢は傀儡そのもののそれでアメリカ政府の見解に基づく政策を、被爆者に対して行い続けてきました。
 原爆症認定訴訟の動きは、限りある時間を生きる被爆者の方々ががきちんとした補償を受けるという意味でも重要であるとともに。核を排泄する上でも計り知れない意味があると私は思っています。

原爆投下がいかに人道に反するか。そして国際法に違反するかをそのまま示す訴訟だと思っています。国際法は、後々まで及ぼす影響、あるいは毒ガスの使用を禁止しています。その国際法に違反する証拠・資料をアメリカ政府は隠滅してきた責任を問わなければならないはずです。
 劣化ウラン弾やベトナム戦争の枯れ葉剤など、あらゆる大量破壊兵器の犠牲者について言えることですが、一貫して影響があるにもかかわらず、使用責任の当事者はことごとく影響を否定します。否定する論拠は、否定する責任者が作ったような機関が大丈夫だと言うからという「見解」です。

 そういった見解を認め、さらに犠牲者が出てくることを放置していることが本当に許せません。
資料や証拠隠滅の責任、罪はとても重いと思います。

 小型核は使える兵器という欺瞞
沢田昭二名古屋大学名誉教授は、広島平和研究所の市民講座でいわゆる小型核がいかに危険なのかという講演をされています。小型核と言いつつ、5kt以下をもって小型核だとすると、広島型が15ktですから、その3分の1の小型核なら使える兵器というロジックが成立するわけです。しかも、地中貫通型まで。沢田先生の説明を伺うと、この貫通型というのは、地表にそのまま放射能汚染が広がるぐらい深刻な被害が出るそうです。

未だに認められない内部被爆問題
 内部被爆というのは例えば、人体に入ってきて、中から放射された場合の影響です。直接被爆や外部被爆の場合は、外部から来た放射線が通り抜ける。それすら危険で恐ろしいことなのに、内部被爆の場合は、中に入って放射線を四方八方に撒き散らし、それが通過するだけではなくて、体内にとどまり続けます。影響は計り知れません。
 ですが、そういう事実も隠蔽されています。というのは、残留放射能の影響をアメリカ政府が否定し、日本政府も踏襲しているからです。内部被爆は残留放射能の問題とすごく絡んでくる問題なので、これまでほとんど明らかにならず、注目もされませんでした。影響はないことにされてしまっていたので。ようやくわかってきた事実に注目しながら、改めて核の歴史について、これから起こるであろう核兵器による被害、放射線による被害を想像するだけで、恐ろしくなります。
 国会で、必要最小限の核兵器は、憲法が認めていると言った人がいて、追及されました。そんな核兵器はこの世にないし、必要最小限の防衛にだけ使えるような核兵器もありえないと。今はないが、しかし論理的、法的には考えられるという意味の内閣法制局の答弁でした。
 考えられるというのはどういう意味ですかと聞くと概念的には、今この世に存在していないけれども、技術が発達すれば、必要最小限の核が開発されるかもしれないので、それは憲法に抵触しないという答弁でした。とんでもない答弁です。
真実のデータ、資料を突き付けられながらも、それは影響がないと言っている人と同じロジックです。自分たちの思惑にそって事実を上塗りする姿勢は科学そのものの否定です。
。でもない話です。
 小型核も持ちたい人の論理が優先SI。放射線の影響については一切書かれていません。

 
2006年10月30日、ヒロシマはこの上ない快晴。平和記念公園には、たくさんの子どもたちのはしゃぎ声が溢れていた。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」との碑。
その小さな石の前にはいくつもの献花が捧げられていた。原爆ドームの無惨な姿も秋の日差しに、心なしか柔らいで見えた。
しかし、現実は、祈りの言葉さえも虚しく感じるほど、猛々しい言葉が政治の世界で踊っている。真実から目をそらし続け、大切なものを放り出せば、再び過ちをおかすだろう。
幼い頃、心を壊しかけた。その現実が、目の前にあった。また同じような状況になるのではないか? 恐ろしくて、一度も訪れることができない場所だった。私は間違いなくそこに立っている。涙が止めどもなく溢れた。平和記念公園に咲き乱れる薔薇の花は、命のありがたさをうたい、凛とした美しさに溢れていた。
「被爆すぐの写真はあまりありません。この写真はその中の貴重な一枚です」若い人が友人に説明をする声を聞いた。
平和記念資料館に展示されている「被ばく者の写真」。後ろ向きに並んでいるその人たちは、放射能におかされた恐ろしさにおののいているものではなかった。何も知ることもなく、知らされることもなく、放射能に曝され続ける「生きている人」の姿だった。

ブラボー実験50周年記念式典で、ロンゲラップ環礁住民を代表してジェームス・マタヨシ氏が演説した。少し長くなるが全文を引用したい。「人類が発明した最大級の戦争兵器の生き証人」としての言葉は、同時に祈りに溢れている。自由と希望とは何か、正義とは何か、人間としての尊厳とは何かを問いかけている。

 


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