世にも稀な話・人の心は“料理”のようなもの
〖感情には味がある〗
人の心中には様々な感情が入っておりましょうし、それが具材となって人物評価の味わいに成っているのではありませんか
はい、人柄や人格というものは食べる料理と同じに味わいの良し悪しで判断されるのは間違いないのですよ、そうと捉えてみれば合点が大いに行くようなのでした
つまりは自分自身で美味しいか不味いか、それが先ず以ての第一事であるゆえに自分で不味ければ何をかいわんや、と言い得ては参ります
えーえー、そうしてこそ次に他人への味わい提供とは成って来るという事ですね
はい、例えば寒い冬には温かい鍋か、暑い夏には冷やし中華か、といった感じで我が心の手作り料理を堪能したいものですね、その後に周囲へのお裾分けという話なのではありましょう
そうですね、辛い思いをしている時に亡き父母から受けた慈愛を想いだしては温かいをカツ丼を我が心に提供するといった発想は如何でしょうか
※ 辛い時には有り難くも嬉しくなるような手料理ならぬ“心料理”を想定しよう
例えば励ましや褒め言葉、過去の良かった思い出話を添えて上げれば心が満ちて元気も出て来るはずだという訳ですよ、間違いなく
要するに数ある感情をストレートに出すと動物そのものになってしまうから、そこに経験を積んだ人間としての文化的な色模様を添えませんかという提案なのでした
となれば当然に言語力の方面でも高い貢献が為されるようには成って参りましょう
※ ユーモアや蘊蓄のある言葉が料理の質を上げるもの
早い話が、時には賑やかに華やぐ晩さん会とシャレてシャンパンの栓を抜くのも乙なのではありませんか、その場合は愉快な笑い話で盛り上がるという訳でした
以上につき随分と分かりにくいでしょうゆえ次のようにも付け加えてペンを置きますね
※ 心には愛を体には食を、両方合わせた心身には心料理を提供しよう