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hoho8888
『目から鱗・“望み”は魂絡みのもの1』
”望み”につき、一般的にはダレもが“自我意識”として捉えられましょうが然し、それは先天性に根差すものであること間違いありませんね
自分で作りだす後天性の情感ではないのだから、つまりは〔魂がらみ〕のものだったということになりましょう、きっとですね
それならばですよ、その辺に明確な定理が生じてくるのではないですか、人々皆がホボ同じようなことに突き動かされていると言う話になってくるのですよ
つまりですね、個性など入り込まない丸きり同じな共通項は一体ナンなのかとの次のような自問自答が為されてはまいります
「え! 個性が入らない? となれば自我ではないことになるゆえ、それなら次のように設定出来てくるようだね」
※〖夢や希望は“魂がらみ”になる〗
はい、つまりは明日への夢や希望は〔魂〕の範疇に入る事柄だったと言い得ては来るのですからね、“〔魂〕とは深遠なもの”と思い込んでいる私たちには大いなる驚きです
「新しい車が欲しい」、「明日のテストで100点取りたい」と言った極々日常的な思いは、何と〔魂〕が起こしていたことにも成ってはまいりましょう
でも勿論こんな胡散臭い話なんぞダレもが安直には乗って来ませんね、当然ですが
それならば話を搦め手から突っついてみることにします、次回にて
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