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阪神・淡路大震災から29年…

トップ画は、ソエジマケイタさん


地震発生

平成7年(1995年)1月17日(火)の5時46分52秒に淡路島北部を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。

当時、私は高校1年生で、兵庫県尼崎市の北東部にある園田競馬場のすぐ近くに住んでいました。

地震発生直後…まだ自宅が揺れる前。
ゴーっという音で目が覚めた(伊丹空港が近いことから、航空機が落ちたのか?と一瞬思ったほどです。のちに地響きだったことがわかりました。)ことを今でもハッキリと覚えています。

揺れが来る直前に母親が「地震だ!!!」と叫んでいました。
縦横に大きく揺さぶられ、まるでジェットコースターに乗っているかのような揺れでした。

揺れが落ち着き、居間に行き、母親と姉と取り急ぎどうする?と相談し、当日福岡に出張に行っていた父親に電話することにしました。

「みんな電話に殺到する。電話がつながらなくなる前に公衆電話から!」と近所のコンビニ前の公衆電話に走りましたが、既につながりにくくなっていました。
3回目くらいで旅館につながりましたが、父親は寝ている様子。
「震源地は分からないが自宅近辺はかなり揺れた。3人とも無事。」と伝言を頼み切る。
※数日後「伝言は聞いたが何でもっと電話してこないんだ!」と心配した父から怒られました。

朝食もそこそこに「とりあえず学校に行け」という母親に「絶対休校」というと…「サンテレビ(神戸のテレビ局)でも休校情報は流れていない」と半ば無理やりに登校。
それくらい情報はなかったです。

テレビでも東京の放送局は「大阪、神戸で大きな地震」、大阪の放送局も「神戸で大きな地震」と伝える程度だったので、無理もない。

学校に自転車で向かう途中、警察官やら消防士に「自宅に帰れ!」と怒られたが「怖いおかんが学校へ行けっていうから…話してくれるか?」と聞くと「気を付けて!」と言われました。

今考えればおかしな話だけど、それくらい皆冷静ではなかったということ。

学校に行くと何人か来ており、先生方から「とりあえず休校。帰れ。」と言われるも、ちょっとだけ掃除を手伝って帰った…。

中学3年のとき

中学3年の時の理科の授業で、阪神間で大きな地震が起こる可能性があることを学びました。

大学の先生による新聞記事をもとに授業で学びました。
このことは大きな衝撃であり、帰って家族に話をしました。

母親が地響きを聞いて「地震だ!!!」と叫んだのも「理科の授業の話が頭をよぎったから」とのちに振り返っていました。

防災教育&地域防災活動

仕事を始めてから防災教育や地域の防災活動、河川レンジャー活動、また地理や地学の勉強を始めたのもこの震災の経験からです。

地震や台風などの自然現象を止めることはできない。
ただ、自然現象による被害(自然現象の災害化)は減らすことができる。
場合によっては、被害をゼロにできることもある。
大きな災害も…小さな災害にすることができる。

そう信じて、防災教育(安全教育・危機管理教育)に力を注いでいます。
また、地域の防災活動や、赤十字の救急法指導員等に携わっています。

毎年1月17日に気持ちを新たにしています。

今年も色々と活動を続けていきます。

2023.1.17

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