一言で説明つくかどうか

何でもヒット商品や、ヒットソング、ヒット番組、ヒットした人でも、なんだったらヒット打った人も、一言で説明がつくかどうかが重要だと、大学でコマーシャルを学んでたという方に昔教えられました。つまりキャッチコピーが付けやすい、またそのキャッチコピーでそのモノが分かるかどうかが非常に重要だと。ま、いいコピーライターなら、どんなモノにもいいキャッチコピーを付けるだろうけど。
分かりやすい、また、ボクの知識の及ぶ範囲での話になるが、そもそも知識の及ばない話なんか出来る訳もないんだけど、とわざわざ断る理由もよく分からないけど、おまけに専門的な事は分かりませんがと原田専門家を名乗りながら断る始末。と、そんな事は本当にどうでもよくて、お笑い芸人で考えてみると分かりやすいのでいくつか例をあげて考えてみます。「海パンでそんなのかんけいねぇって言う人」「ルネッサーンスと乾杯する人」「欧米か!の人」と一言でないのもありますが、まぁだいたいこんな感じ。代名詞というか、その一言で説明がつくから伝わりやすい。これが本当に重要な要素で、人って基本見ないし聞かないから残らない。そういう流れていく中でいかに残すか、記憶に残すかが重要で、CMでは何度も何度も流れて刷り込みやっと覚えてもらう。覚えてもらうというよりも、商品を目にした時に手に取りやすくなる。同じ商品、デジカメなんかを買いに行ったとすると、ついついCMで見聞きした、聞き覚えのある商品、メーカー、見覚えのあるモノへとまず手が伸びる。これはまた別の刷り込みによる作用の話だが、そのCM自体も一言で説明のつくCM、キャッチコピーだとより覚えてもらいやすい。宮﨑あおいちゃんがCMしてるヤツとか、キムタクがCMしてるやつなど、商品そのもののイメージを伝える以前に、強いキャラクター性、タレント性を売りに商品を宣伝することもまたCMにとっては重要なファクターでもあると思う。商品の説明以前に、誰々のCMしてるで伝わってしまうのだ。試しに家電量販店で宮﨑あおいちゃんのCMしてるデジカメ下さいと言ってみれば、すぐにOLYMPUSの商品を案内されるでしょうし、なんだったらカタログには大きく映っているので聞くまでもない。それくらい一言で説明がついてしまっているのだ。またこれには、あのキムタクが使ってるからとか、宮﨑あおいちゃんと同じのなどとそういうファン心理も働くから一概には言えない事ばかりだが、今回は一言で説明がつくことという切り口で見ていきたいと思う。
こうして考えると、世に溢れているものはなんでも一言で説明できるんじゃないかとさえ思えてくる。そういう脳が活性化しているからそう思えて当然だとは思うけれど、物事を突き詰めて考える訓練は常日頃必要なのかもしれない。特に文字数の限られるtwitterなんかで説明する時に、この一言で説明できるかどうかってのはとても重要なファクターだと思うし、そもそもtwitterが無かった時代でも、人にモノを伝えるのに、一言で説明がつく程明瞭な事は無い。こんなブログでくどくど同じ事を回りくどく説明するよりも、ブログのタイトル見て一発で理解できる方がいいに決まってる。じゃ、本文は何を書くんだ?となったらどうでもいいあぁでもないこうでもないという話か、様々な具体例を出して説得力を増すかだ。残念ながら前者なのが否めないが、そういう事だ。
今でこそ当たり前になった商品なんかの発売当初のキャッチコピーなり、広告を見るとそれは非常に面白い事に気がつく。ポカリスエットって出てきた当初、1980年には他に類似商品が無かったので、商品自体の説明もしなければ手に取ってもらえない。今ならtwitterで話題になったりしたら商品が1人歩きして代弁者が現れて商品自体が1人歩きやすくなるが、当時はそういうツールもない時代。ボクは初めて飲んだときの感想は薄い味のする水だった。当時は自動販売機でお茶すら売っていない時代。水なんて(エビアンやヴォルビックなど海外製品)まぁ買うのはバカだというような時代。そんな時代に薄い味の水なんか誰が好んで買うのかと思った程だ。今でこそいろはすなんて薄い味の水が商品かされてるけど。しかしこれが、運動をした後、汗をかいた後だと味が違う事に気がつく。本当に体にしみいる感じがするのだ。一度その感覚を味わうと、それは体に美味しい、口にも美味しいと思えてしまうのだ。当時のキャッチコピーは「イオン飲料アルカリ性・アルカリイオン飲料」だが、これじゃ全く何の事だか分からない。分からないなりにも、アルカリだとか、イオンってのはなんだか体によさげという事は何となく当時も分かっていたから、体にいい薄い味の水的な捉え方だった。しばらくして、スポーツドリンクという総称が産まれたんじゃないだろうか。アクエリアスとか競合商品が出てきてやっと。当時はとにかく何か得体の知れないモノだったことは確かだ。商品名すらポカリスエットと耳なじみの無い言葉、それもそうだ、スエットは汗だけど、ポカリは全くの造語で、言葉の意味自体も無い。ラッスンゴレライとなんら変わらない言葉なのだ。ポカリを説明してよ、ちょっと待ってちょっとまって大塚製薬である。しかしこのネーミングに関しても耳になじむ、耳に残るネーミングが施されているからすごい。パピプペポの半濁音は発音するのに、口を閉じた状態から勢い良く開いて発音するから、耳に飛び込みやすく、また半濁音で始まる言葉や含んだ言葉は絶対数が少ないから印象に残りやすいという事もある。そう考えると当時のポカリスエットは一言で説明できるとは言い難いが、当時でも一言で言うのならばポカリだ。つまり全く前例のない商品であるがため、補足の方が多くなりすぎてしまって本末転倒になってしまうんだったら、もう商品名そのままを売りにと名付けられたのかもしれない。
話はそれるが、こういうパイオニア的な商品、ヒーロー的な商品の登場は、その業界を活気づかせる。ポカリの登場により、アクエリアスであるとか、競合製品が生まれ、スポーツ飲料と言うジャンルを作った。近年で言えばレッドブルの登場によりエナジードリンクが雨後の筍のように産まれだした。まぁ昔からオロナミンCやライフガードなんてあったけどそれを、煮詰めて濃くした様な商品が一大ジャンルを築いたり。既にあるジャンルでも一人のスターの登場により、その業界が活気づく事は多々ある。リズムネタのスターが誕生すればリズムネタ界隈が活気づくし、文学界で話題になった又吉直樹さんの火花が小説界隈を活気づけている。書店の売り場がとてもおんぶにだっこ状態だったからこれは事実だ。やれ過去の作品から、又吉さんがススメる本のコーナー等、一気に活気づく。このヒーロー的存在もそれぞれことごとく一言で説明がつく。リズムネタであるとか、それこそラッスンゴレライとか。そう考えるとポカリスエットとラッスンゴレライは同じ匂いがしなくもないな。で、本好き芸人が書いた小説と。因数分解ネタの大輪教授さんは正にこれをネタとして昇華してたんだなぁと改めて思いますよね。そこにユーモアを含めて。
この一言で説明がつくかどうかってのは、企画書にドンと書くと見てもらいやすい。ってか基本企画書なんて見てもらえないもんだと思って、その一言にどれだけ思いを詰めるかみたいなもんなんだけどね。番組の企画も、商品、広告の企画でも。「思いだせそうで思いだせない問題のクイズ番組」とか「なんでもランキング形式で紹介する情報番組」とか「月の上から見て話すていの番組」「バイクに乗ったヒーローの特撮」「パーソナルな家紋」といった具合だね。

ハラセンブログ2015年3月11日より

http://hara1000.com/weblog/2015/03/40.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?