はじめての恋愛小説
天井から床まであるガラスから日の光が差し込んでいた。
僕とカスミは、ガラスに沿って並んでいる長テーブルに、教科書とノートを広げて座っていた。中間テストが近いから、一緒に勉強しようとカスミから言われ、断わる理由はかけらもないし、たしかに勉強しなきゃやばい。隣からはノートにシャーペンで何か書いている音が聞こえる。
図書館は静かで、エアコンがほどよく館内を温めてくれている。人は少なく、時おり本のページをめくる音が聞こえてくる。
何回目かのあくびをしたときに、カスミが急にこっちを向いた。ビクッとして僕もカスミを見た。
「ねえ、まさか眠くなってるんじゃないでしょうね」
ヒソヒソ声で言った。
「そんなことはありません。今日はここに勉強しに来ました」
背筋を伸ばして真顔で答えた僕を見て、カスミは無表情のまま、勉強に戻った。
眠さと緊張が入り交じる。体は今すぐにでも机に突っ伏したいのに、頭と心は緊張で興奮気味だ。
カバンを見るが、今じゃないことはわかってる。落ち着け自分。
とりあえず勉強しようとシャーペンを握ったけど、教科書の文章がまったく入ってこない。
カスミと付き合って1ヶ月になろうとしている。
澄んだ声も、歯を見せて思いっきり笑う笑顔も、こうして隣で勉強しているときの真剣な顔も、お互い好きな音楽のアーティストの話をしているときの一体感も、付き合ってほしいと言ったときの、いつもは見せない照れた顔も。
だんだん、カスミの好きなところが増えていくんだけど、ひとつだけ会話ができないことがある。
本の話だ。
カスミは昼休みや放課後、たまに授業中も、本を読んでいることがある。僕は本を読まないから、何を読んでるか聞いても、どうせわからないし、会話も広がらないと思って避けてきた。
読んでいるのはいつも文庫本で、本屋でつけてもらう紙のやつじゃなく、自分で買ったらしい、布のブックカバーをつけている。
どんな本読んでるのって聞いたところで、そもそも本を読まないから、僕もふうんとか、へえってしか返せないじゃないか。
だから決めたんだよ。僕も本を読もうって。
そこで、まずは図書室に行ったんだよ。初めて入ったけど、貸出しランキングなんてものがあったから、それをメモった。
中学校のときの本を読んでた記憶がある友達にラインで、高校生の女の人はどんな本読んでるのか聞いて、好きな人が本好きなのとか聞かれたりしてね。
最終的に絞ったのは、ミステリーか恋愛小説。カスミの性格からミステリーは読みそうにないから、恋愛小説にした。
ネットでも「恋愛小説 おすすめ」で検索して、いくつかのサイトであがっていたものを選んだ。こうして調べたものの中から、古本屋に置いてそうなものを5冊選んだんだ。
いくら高校生でも、本をいっきに5冊買えるほどのお金は持っていないからね。全国チェーンの古本屋に行って探したんだよ。
で、読んでみたんだけど、最初の2冊は、読んでる途中で眠くなってきて、苦労したよ。
失敗したのは、検索したときに、タイトルと作家の名前だけみて、どんな本なのか見てなかったこと。読んだら大人の恋の話だったりして、正直、ほんとよくわからないものもあったよ。僕にも、この物語がわかるときが来るのかなと思ったけどね。
そして今日、カスミが読んでそうな、好きそうな本を一冊持ってきたんだ。
何聞かれてもいいように、内容をしっかり頭に入れてきた。中間テストの勉強より集中して。
さて、と言ってカスミがシャーペンを置いた。バッグを開けて、中からカバーが付いた文庫本を取り出した。
僕もなんでもない表情を意識しながら、カバンから小説を取り出した。
「君が小説を読んでるとは」
カスミが驚いた顔をした。よし、ここまではイメトレ通りだ。
「お、おう、うん、カスミがいつも読んでるの見て、俺も読んでみようかなって」
さっそくイメトレが崩れはじめる。
「何読んでるの」
これだよと言って、カスミに本を渡した。
カスミが本を手にとって、表紙、裏表紙を見たあと、ページをめくった。
「恋愛小説読んでるんだ。いがいにも」
なあカスミ、僕もそう思ってるよ。まさか恋愛小説を読むことになるなんて思ったこともなかった。しかも、5冊も立て続けに。なんかちょっとおもしろさがわかってきた気がするけど。
「何読んでいいかわからないから、おすすめで検索したやつ読んでみてるんだよ」
「で、これ、おもしろいの」
「うん、高校生が主人公だから、読んでてなんかわかるっていうか。展開も続きが気になる感じ」
カスミは僕と会話をしながら読み進めている。僕にはできない芸当だ。集中して読まないと、文章を追えない。ちょっと油断すると、同じ行を読んでたりするし。
「へぇ。ねぇ、読み終わったら貸してくれない。私、ラノベしか読まないから、こういうの読んだことないんだ」
え、ん、今、なんて言った。
「え、カスミ、ラノベ読んでたの」
ラノベは盲点だった。
「あ、いけないんだ、そういう見下した感じの言い方するの」
やばい、ちょっと怒った感じの顔もかわいいじゃないか。
「違う違う。そう聞こえたらごめん。ラノベって、例えばどんなの読んでるの」
「異世界転生ものは定番だとして、あとは私達が生まれる前から出てる涼宮ハルヒのシリーズも好き」
「ごめん、言ってることがよくわからない」
カスミはラノベについて、簡単に説明してくれた。どんなものがあるのか、設定やキャラクターはたしかに一般文芸とは違うけど、誰かに、または何かに対する思いとか、人とのつながりや友情の大切さとか強さとか、いわゆる小説に書いてあることと同じことが書いているものもたくさんあるとか。
小説なのに、文芸書のコーナーではなく、漫画のコーナーと隣接しておいているところに書店の差別を感じるとか。
でもまあ、隣接しておいているのには理由があるんだろうとか、カスミのラノベに対する思い、いや、愛を感じた。
「でもさ、ラノベってさ、表紙がねぇ」
そう言って、カスミはブックカバーを取って、表紙を僕に見せた。
胸を強調した女性が、グラビアみたいなポーズをとって、こっちを向いて見ている。
なるほど。だからいつもブックカバーををつけていたのか。
「わかった。じゃあこれ読み終わったら貸すから、カスミもなんか貸してくれないかな。その、俺が読めそうなものを」
「うん、いいよ」
カスミが微笑みながら言った。
やったぞ自分。よくがんばった自分。
僕にとってはじめての恋愛小説は、カスミにとってもはじめてになる。
どうかな。僕と同じ気持ちで読んでくれるかな。それとも、ぜんぜん違うことを感じるのかな。
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