雨の図書館
はじめに
この物語はstand.fmで配信していらっしゃる漫画家の緒方しろさんの収録『雨の図書館』を聴いて触発されて書きました。
stand.fmに登録されている方はぜひ、緒方しろさんの収録をお聴きください。
●stand.fm 緒方しろさんの『雨の図書館』
雨の図書館
自動ドアが閉まると、薄暗い館内には図書館独特の静けさが満ちていた。
廊下を歩き、高い天井を見上げると、晴れた日は光を届けてくれる天窓の向こうは鈍色の雲が覆っていて、遠くから無数の強い雨が、屋根と天窓を打つ音が聞こえている。
図書室に入ると、雨の日独特の、新しい紙や古い紙の湿った匂いがした。ざっと見渡すと、本を読んでいる人は三人だけで、書架を見ている人も見える範囲で二人しかいなかった。
雨も紙が湿った匂いも嫌いではないが、雨の日にわざわざ図書館に行こうとは思わない。しかし、今日は違う。どうしても読みたい本があったのだ。
昭和四十八年に幻想文学『緑空の破片』でデビューし、数年に一冊という寡作ながら熱狂的なファンがついた、私の地元出身の作家がいた。しかし平成に移り変わる直前の昭和六十三年十月に「向こうへ行きます」というメモを残し、失踪した。部屋には財布を含め、すべての物が残ったままだった。ただひとつだけ、執筆にも使い、愛用していた万年筆だけが失くなっていたという。
その作家の幻の作品がこの図書館にあるという情報を、昨夜ネットで偶然見つけたのだ。
私家本で、部数は当時印刷を依頼された印刷所によると五十部。家族親族には配っていない。友人や作家仲間や出版関係者に配ったらしいという話があるが、誰も持っていることを明かさない。中にはある日ふと思い出して探したが、失くなっていたという人もいるそうだ。
本の表紙をめくるとタイトルがあり、タイトルの下には、タイトルも含め内容に関しては一切の口外を禁止する、と書いているため、多くの持ち主は本の内容だけではなく、所持していることすら口外していないらしい。数人、内容を話した人がいたが、その人たちはいずれも失踪したという噂もある。
昨夜ネットで見た情報では、この図書館にその本があるというのも噂に過ぎない可能性が高いということだ。検索機で探しても出てこないし、受付で聞いても、また来たかという空気を隠さずに、ここにはないと言われるという。
高い屋根に打ちつける雨の音が聞こえ続けていた。
いちおうと思って検索機に作家名を入れたが、検索結果には見たことがあるタイトルしか出てこなかった。
小説が並ぶ書架を探しても見つからず、図書室の奥の角にある全集の書架をみたが、予想通りそこにもなかった。
他の図書館はどうなのかわからないが、ここの図書館にはSFの書架の隣に幻想文学の書架がある。国書刊行会の「新編 日本幻想文学集成」「世界幻想文学大系」「バベルの図書館」「定本 ラブクラフト全集」があり、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集」も並んである。
やはり噂に過ぎなかったかとあきらめて、国書刊行会から出ている、ダイアン・フォーチュンが著した『神秘のカバラー』を手にとってテーブルに向かった時、違和感を感じた。
何かがさっきまでとは違う。
何が違うのか図書室の中を見ると、私以外、誰もいなくなっていた。受付に座っている人も、さきほどは三人座っていたのに、今は一人しかいない。その人はさっきまではいなかった人だった。
気のせいかもしれないが、静けさの質も違うように感じた。紙の湿った匂いと雨の音が強くなっている。
受付に座って、パソコンの画面を見ながらなにか作業をしている髪の長い女性に、作家の名前と幻と言われている本があると聞いて来たのだけれど、あるかどうか聞いてみた。
「ありますよ。しかし禁帯出なのでここで読んでいただきますが、よろしいですか」
女性は画面を見たまま言った。
「お願いします」
そう言うと女性は奥へ行き、しばらくしてから厚い本を持ってきた。
「この本はここではなく、奥の個人部屋で読んでいただくことになっているそうです」
女性は私の返事を聞かずに、受付の隣にある白いドアを開けて、どうぞと言って中に招き入れた。
部屋は二畳ほどで、壁も天井も白く、部屋の真ん中に木製のテーブルと椅子があるだけだった。
テーブルの上に本を置き、では、ごゆっくりと言って女性は部屋から出ていった。
本は焦茶色の革の表紙でタイトルはない。椅子に座り、深呼吸をして、表紙を開いた。噂どおり、タイトルがあり、その下にタイトルを含め一切の口外を禁止すると書いてある。
物語は雨の強い日に主人公が図書館に入るところから始まる。
静かな図書館。聞こえ続ける雨の音。失踪した伝説の作家の幻の本がこの図書館にあるという。
まるで今日の自分のようだと思いながらページを捲り続けた。
幻の本の内容は口外禁止とされ、口外した者は数日以内に失踪していた。作家が失踪したときのように、すべてのものを残したままで。
図書室の雰囲気がさきほどとはどこか違うことを感じた主人公は、受付に座っている女性に話しかけ、幻の本を手にする。そして受付の隣の部屋で本を読み始める。
本を開くと物語は雨の強い日に主人公が図書館に入るところから始まる。
静かな図書館。聞こえ続ける雨の音。失踪した伝説の作家の幻の本がこの図書館にあるという。
まるで今日の自分のようだと思いながらページを捲り続ける。
本を半ばまで読んだ頃、ふと気づいた。
先程からページを捲っても捲っても、残りのページが薄くならない。まるで捲ったページが前のページに吸い込まれているように。またはページを捲るたびに最初のページが消えているように。
しかしページを捲る手は止まらない。
それほど物語はおもしろく、吸引力があった。
私は。
私は本に吸い込まれていくように、いつまでもいつまでもページを捲り続け、読み続けた。
*
ある日のネットニュースに、幻の本を見つけたので確かめに行くという連絡を残し、失踪した人がいるという記事が掲載された。
終
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