あの夏の神社とおばあちゃん
1
久しぶりに山の絵を描きたいと思ったのが、そもそものはじまりだった。
本業でないとはいえ、僕の絵を見て買ってくれる人がいたり、アイコンやサムネイルの依頼をしてくれる人がいるのは、正直に言って嬉しい。
おかげで会社の給料だけではギリギリだった生活が、今は少しは余裕を持って生活することができるようになった。
とはいえ、勤めとは違って収入は月によってまったく違うし、今年得た収入を、来年確定申告しなければいけないので、全てを使えるわけでもない。
絵を描くために必要なものも安くはない。
ダラダラと過ごしていた休日の時間が、絵を描くための時間になったのが、自分にとって一番いいことなのかもしれないと思っている。
その日、僕は滝が流れている山の風景を描きたいと思って、家から一番近い山へ行った。近いと言っても車で1時間。そこからさらに歩いて1時間かけていく場所だ。
天気は晴れ。気温もそれほど高くはなく、山の駐車場には僕の他には1台も車が止まってなかった。
登山道の入口脇で記名して、入山許可をもらい、先へ進んだ。
目指すところは滝そのものではなく、滝が綺麗に見える場所だ。
晴れた空の下、緑や花を眺めながら、登山道を歩く。どこにいるのかはまったく見えないが、聞いたことがない鳥の鳴き声が聞こえる。
今回描こうとしている絵は、どこにも誰にも売るつもりはない。
妻の誕生日に、プレゼントするつもりだ。もちろん、これだけではなく他にも何か買う予定だが。
妻とは大学生のときに合コンで知り合い、仲間の中のひとりとして、友達として付き合ってきた。
お互い、読書や絵を見るのが好きで、当時から2人で美術館へ行ったりしていたので、まわりからは付き合っちゃえよとよく言われたものだ。
それでもなぜか、僕と妻はそういう気持ちにはならなかった。理由はわからない。ただ、そうだったとしか言えない。
ある日、僕が描いた絵を見せた時、妻が気に入ってくれた。
「一番気に入った絵、あげるよ」
そう言ったら妻は、滝が流れる景色を描いた絵を選んだ。
その後も僕は趣味で絵を描き続け、描き終わるたびに妻に見せたが、妻は欲しいとは言わなかった。一度だけ理由を聞いたら、あの一枚があればそれで十分、他の絵が嫌いとかそういうのではなくて、もっといろんな人に見てもらったほうがいいと思ったから。と返ってきた。
その言葉をもらって、僕はネットのブログに自分が描いた絵を写した画像をアップし始めたのだ。
僕たちはその後も友達のまま、大学を卒業し、卒業後は会うことがなかった。
大学を卒業し、僕たちはそれぞれ就職した。
仕事に就いて3年目、僕の絵を買わせてくれと言ってきた人がいた。相場がわからないので、素人が描いた絵がいくらくらいなのか調べたが、ピンからキリまであって困った挙げ句、僕はその人に言い値でけっこうですと言って、売ることにした。
振り込まれたのは3万円。
正直、驚いた。よくて5千円くらいだろうと思っていたからだ。
絵を送ったことを伝えるために送ったメールに、なぜあの値段にしたのか教えてほしいと正直に聞いた。返ってきた答えは一言、私にとってそれだけの価値がある絵だからですだった。
僕にとって、その人がつけてくれた値段が基準になった。
その後、個人でもネット上で作品を販売できるサイトを見つけ、そこで絵を売ってみた。絵だけでは不安だったので、アイコンやサムネイルも描くことにした。
まったく売れない月があれば、一ヶ月に3枚売れる時もあったが、僕は嬉しかった。
妻と再会したのはその頃だ。
大学時代の仲間で集まろうという話が出てきて、そこで再会した。
みんなと会えて嬉しかったし楽しかったのは僕だけではなかった。
仕事のことや当時のこと、恋人がいる人はその人のことなど、たわいない話をして、久しぶりにあの頃の気分に戻れた。
二次会が終わって解散したとき、妻が僕にもう一軒行かないかと誘ってきた。何か話がありそうな表情をしていたので、僕は行くことにした。
妻は結婚まで考えていた人と別れたばかりだった。結婚しようと言ってきた相手が浮気をしたのが原因だった。
「お互いの両親に挨拶する前でよかった」
そう言った妻の顔は暗く辛そうだった。さっきまでの楽しそうな顔は演技だったのかと思っていたが、そうではなかった。
「あの人のことを少しでも忘れて、あの頃の気持に戻って、なんでもない話を笑いながらできて、本当に楽しかったの」
僕は自分の絵を買ってくれる人がいることを話したり、売っているサイトをみせたりした。
「またいつか、描いた絵を直接みたいな」
「いいよ、いつでも」
その日、僕たちはそのままお互いの部屋へ戻った。
連絡をしたのは僕からだった。
数日後、妻に絵を見せたいけど、いつならいいかと連絡し、その週の日曜日に妻が僕の部屋に来ることになった。
部屋を掃除して、絵を用意して、妻が来るのを待った。妻はケーキを持ってきてくれた。僕はコーヒーを淹れ、ふたりで妻が持ってきたケーキを食べながら最近読んだ本のことなどを話した。
ソファに並んで座って、スケッチブックを開きながら僕が描いた絵を見ていた時、僕たちはそれまで感じたことがない感情を持った。
どちらからでもなく、互いの距離をつめ、やがてお互いの腕がピッタリとくっつくほど寄り添っていた。妻は僕の腕に頭をあずけ、僕は妻の肩に腕をまわしていた。ふたりの呼吸はぴったりと合っていてまるでふたりがひとつになった気分だった。
いつしか僕たちは会話をやめ、絵も開いたままになり、静かな部屋の中で、出会って初めてのキスをした。
滝の音が聞こえてきた。
僕はどんな景色が見えるのか楽しみだった。
妻と結婚して三年。
そろそろ子供を作ろうと二人で話している。
来年は家族が増えているかもしれない。
だからというわけではないけれど、あの日、妻が持っていた絵と同じ景色を、今の僕が描いて改めてプレゼントしようと思ったのだ。
滝が見え、あのときと同じ構図になるように位置を定めようと場所決めをしていた。
あと一歩前だと思って、踏み出した。
草地だと思っていたそこに地面はなく、僕はそのまま転落した。
背中を下にして落ちていく。
木の枝に一度ぶつかったが、枝は折れ、僕はそのまま落ちていく。
崖は斜面になっていて、一度、右脚を変にひっかけた形でぶつけた時、曲がるはずがない方向へ脚が曲がり激痛が走った。
背中にはリュックサックを背負っていたが、果たしてクッションの役目をしてくれるだろうか。
そんなことを考えていた時、地面に叩きつけられる衝撃を感じた。かばってはいたもののこらえきれず、後頭部も地面に当たった。
右脚に走る激痛。地面に叩きつけられた衝撃。後頭部を打った痛み。
かすかに残る意識で、痛みに耐えながら、僕はズボンのポケットからスマホを取り出した。
今の時代でよかった。かろうじて電波が繋がっているようだ。
緊急通報のボタンをタップした。
しかし、僕が覚えているのはそこまでだった。
2
父の実家は、地方に住んでいても田舎だと言われるようなところにあった。
りんご畑を営んでいて、秋の収穫が終わると、おじが毎年、大きなダンボールほどある、木製のりんご箱いっぱいに様々な品種のりんごを詰めて持ってきてくれていた。
正月とお盆、この2回は、必ず顔を出すことになっていた。
あれは僕が小学2年生の夏休みのときだった。
あの頃はまだ、父の実家には女のいとこが2人だった。
テレビゲームもない時代。おもちゃも女のものしかなく、僕は正直、父の実家に行くことには抵抗があった。
父が運転する車で1時間弱のそこそこ長い時間も暇を持て余す。
到着して、車から出ると、うるさいくらいにあちこちでセミが鳴いていた。一家からよく来たと歓迎を受け、仏壇に線香をあげて手を合わせる。
二人のいとこと妹は、すぐに子供部屋に行き、おもちゃで遊びだした。両親は祖父と祖母、叔父と叔母と会話をしている。
僕一人だけが、何をしようかとうろうろしたり、テレビを見たりしている。
テレビは子供が見るようなものは放映していなかったからすぐに消した。
持て余している僕に祖母が気をきかせ、アイスを持ってきてくれた。
とはいえ、アイスを食べ終わるとやはり暇は暇だ。
「外で遊んでくる」
そう言って、僕は家を出た。大人全員がいっせいに、車に気をつけろ、あまり遠くに行くなと言ってきた。
セミの声しか聞こえない中、外に出て、崖の下に降りる。土がむき出しの細い道を、足を滑らせないように慎重に降りた。使いみちがないのか、崖の下はいつ来ても湿った土で、何かを植えているわけでもなく、ただただ広い空間が広がっているだけだ。
崖の端はさらに崖になっていて、そこから落ちると確実に怪我をするか命を落とすかもしれないほどの高さだった。
その崖の端には杉の木が等間隔で高く伸びていて、崖の上の木々の枝葉も重なり、日の光が届かない。
わかってはいたが、その場所では何もできない。
なにか虫を探しても見つからないし、手ぶらでいたところで何もすることがない。
ただ涼しいだけだ。
僕はため息をついて、再び崖の道を登り、家の裏手にある庭に行った。
立派な松や花は咲いていないが、多くの植物が生えている。
アゲハチョウが止まっていた。
できるだけ真後ろからそっと近づいて、息をひそませる。
モンシロチョウは素手でもつかめるが、アゲハチョウは動きが早いから難しい。
腕を伸ばし、手はすぐにつかめるように軽く広げる。
もうちょっと、あと少し。
「あ」
勢いよくつかもうとした瞬間、アゲハチョウは飛び立ち、僕の周りを一周して、垣根の上から向こうに飛んでいった。
その時、ここに来てから初めて、空を見た。
濃い青と真っ白な雲。照りつける太陽の光。
体中に汗をかいていたけど、嫌な感じはしない。
アゲハチョウに集中したから気づかなかったが、庭の緑から出る木々や草花のむわっとした匂いも嫌ではなかった。
そうだ。
僕はアゲハチョウが飛んでいった方向へ行くことにした。
いったん家の中に入って、水を飲んだ。
「ちゃんと気をつけるから、神社に行ってもいい」
僕は両親の前に立ち、聞いた。
両親は顔を見合わせたあと、親戚の方を向いた。
祖母が口を開いた。
「車には気をつけてね。それと、階段にも気をつけて。上りよりも下りの方が危ないから」
「わかった」
そう言って僕は勢いよく外へ向かった。
「ああ、そうそう」祖母が僕の背中に声をかけた「もし誰かと会ったら、ちゃんと元気に挨拶するんだよ」
「はあい」
大きな声で返事をして、僕は神社へ向かった。
蝉の声に包まれた夏の道。
畑や農家の生け垣に挟まれた上り坂を歩くと、左手に数メートルはある大きな鳥居が見えた。
神社は山の斜面をそのまま階段にしていて、鳥居の向こうには急で長い階段が続き、本殿が見えない。
神社にお参りに行くときのことを思い出して、鳥居をくぐるときに会釈をして、真ん中は避けて端に行き、よしっと声を出して気合を入れて階段を登った。
階段の左右は杉の木々に囲まれていて、蝉たちの声がさらに強くなった。
他に人はいない。
僕は蝉の声に包まれた世界に一人になった気分になったが、なぜか怖くも寂しくもなかった。
半分ほど登ったところで一休みしようと思い、階段に座って、神社の入口を見た。
高い。
ここを降りて帰らなければいけない。その方が怖かった。
それでも、ここまで来たんだから、上まで行こう。僕は立ち上がり、再び階段を登った。
鳴り続ける無数の蝉の声。階段には太陽の光がこれでもかと降り注いでいるのに、なぜかさっきより暑さは感じない。息があがり、口で呼吸をしながら僕は階段を登った。
やがて永遠に続いていそうな階段に終りが見えた。本殿が姿を現したのだ。
最上段まで登りきり、肩で息をしながら境内を見渡した。
正面にはできてから間もない感じの木造の本殿への短い石畳が続き、途中の右側に手水舎(ちょうずや)がある。他は土に草が生え、左右に草が生えていない、おそらく他の社殿へ行くための道がある。
所々に大きな古い木がある。
右側の道の向こうには木々に囲まれた鳥居が見えていたけど、その先は薄暗くてよく見えない。左側は少し先が分かれ道になっていて、一方は鳥居に続き、先に小さな拝殿が見える。もう一方は鳥居がなく、どこかへ続いている道だけがある。
僕は石畳を進み、手水舎で手を洗い、洗った左手を丸めて水をくみ、手から水が落ちる前に口に入れた。口の中を軽くゆすいで、拝殿に見えないように口元を隠し、口から水を吐き出した。
拝殿に向かう。
大きな鈴を鳴らすと、あたりに響いた。賽銭を持ってきていないことに気づいたが、どうすることもできない。二礼二拍手をして、手を合わせた。
神様、ごめんなさい、お賽銭を持ってくるのを忘れました。
心の中でそう言ったあと、自分の名前を告げた。
願い事が浮かばなかったので、母に教えられてたとおりに、いつもありがとうとだけ言って、最後の一礼をした。
目を開けて、深呼吸をする。
蝉は鳴き続けているのに、なぜかさっきより遠く聞こえる。
さて、もう少しここを探検しようと思った時、ふわっと風が吹き、どこからかアゲハチョウが飛んできて、僕の後ろにまわった。
アゲハチョウを追うように振り向くと、そこにおばあさんがいて、笑顔で僕を見ていた。
驚いてびくっとすると、おばあさんが笑いながら言った。
「おお、ごめんね、驚かせてしまって」
真っ白な髪は耳の下まで伸びていて、パサパサだ。顔中シワだらけで、笑っているとシワなのか目なのかわからない。色があせた小豆色の服は、夏なのに長袖で、下は黒いもんぺを履いていた。
僕はこんにちはとあいさつをした。
「はい、こんにちは。1人で来たのかい」
「うん」
「見慣れないけど、どこから来たの」
僕は自分が来た場所を告げた。
「おお、そうかい、遠いところから。あれかい、お盆だから、おじいちゃんおばあちゃんに会いに来たのかい」
「うん」
すると、おばあちゃんに気を取られていて気づかなかったのか、僕より小さな女の子がどこからか走ってきて、おばあちゃんの隣に立った。
「こんにちは」
女の子が僕に挨拶をしてきたから、僕もこんにちはと返した。
女の子は山吹色の着物を着ていて、着物には白のいげた模様が散らばっていた。髪を結っていて、丸く赤い玉がついている串で留めていた。足には草履を履いている。
なんか、昔の人みたいだなと僕は思った。
丸い顔に大きな目で僕を興味深そうに見ている。
「お前も来たのかい。まあそうだね、珍しいお客様だからね」
「うん。ここじゃない人と会うの久しぶり。ねえ、お話しようよ」
女の子がそう言うと、おばあちゃんが言った。「ちょっとだけだよ。あまりここに長くいると、この子のお父さんやお母さんが心配するから」
僕と女の子は拝殿の階段に並んで座った。
話といっても、ほとんどが女の子の質問に僕が答えていた。
何歳か、どこから来たのか、父や母は仕事をしているのか、それはどんな仕事なのか。
学校にいっているのか、友達はどんな人がいるのか、学校はどんなところなのか。
普段はどんなことをして遊んでいるのかなどなど。
「そろそろ時間だよ」
おばあちゃんがそう言うと、女の子は不満そうなかおをしながら立ち上がった。
「ねえ、アメ一個あげてもいい」
女の子はおばあちゃんに聞いた。
「一個くらいならいいだろう」
女の子は着物の袖の下から木の筒を取り出し、蓋を開けて、中から白いアメを取り出して僕に差し出した。
僕はありがとうと言って、すぐに口に入れた。かなり酸っぱくて、僕は口をすぼめた。そんな僕を見て二人は笑った。
「大丈夫だよ、それ、ジャバラとブッシュカンで作ったアメだから」
女の子は笑いながら言った。
「ゆっくり舐めるんだよ。そこの階段を降りる頃には舐め終わると思うけどね」
口をすぼめたまま僕はうなずいた。
「どれ」
そう言うとおばあちゃんは僕に近づいて、右手を僕の頭の上において、聞き取れない声でなにか言った。
「うん、お前はとてもいい子だ。今、おばあちゃんがお前におまじないをしたから」
「どんなおまじない」
僕が聞くとおばあちゃんは言った。
「お前をずっと守るおまじないだよ。危ない目にあっても大丈夫なようにね。まだ言ってもわからないから、今は言わないけど、お前にはやることがあるんだよ。だから、その時までお前が大丈夫なように、おまじないをしておいたからね」
おばあちゃんはそう言ったあと、少しだけ考えるように上を見た。
「お前は秘密を守れるね」
言いながらもんぺのポケットに手を入れ、何かを握って取り出した。
「これは誰にも見せちゃいけないよ。もらったことも言っちゃいけない。お前が大事に持っておきなさい」
それは、透明な緑色の小さな石だった。
「お前のお守りだよ」
僕は受け取り、よくわからないが、ありがとうとだけ言った。
じゃあねと手をふって別れを告げ、僕は帰る。
下りの階段を見ると、やはり降りるのが怖いが、そうも言っていられない。
いつの間にか再びうるさくなった無数の蝉の声を聞きながら、落ちないようにゆっくりとしっかりと階段を降りていく。
あと少しで入り口に着く頃、言われたとおりにアメを舐め終えた。
家に着くと、みんなが大きなテーブルを囲んで昼食をとっていた。
母親から帰ってこないからみんなで先に食べちゃってるよと怒られた。
僕は神社に行って何をしていたかを話した。もちろん石のことは言わなかった。
話しているときから、母親と妹といとこ以外の大人たちが、目を大きくしたり真剣な顔をして僕を見ていることに気づいていたが、最後まで話し終わるまで誰も何も言ってこなかった。
すべてを話し終わると父親が聞いてきた。
「なあ、あの神社、そんなに長い階段があったのか」
「うん、すごく長かった。神社にいるよりも階段を登ったり降りたりするのに時間がかかった」
大人たちが顔を見合わせる。
祖父がみんなにうなずいてから、僕に言った。
「お前は、神様に会ってきたんだよ」
「神様」
「そう、あそこの神社にはそんな長い階段はないんだ。だけどお前には見えたし、行ってきたんだろ」
祖父が言っていることがわからない。瞬きしながら祖父を見た。
「そうだな、なんと言ったらいいかな」
困っている祖父に続けて祖母が言った。
「とりあえず、ご飯食べなさい。食べ終わったら、おばあちゃんと一緒に、もう一度神社に行こう」
僕が妹やいとこと会話をしながら昼食を食べている横で、大人たちは、祖母と僕が神社に行っている間に、祖父が話すとか、そんなことを言っていた。
昼食を食べ終えて一休みしたあと、僕は祖母と手を繋ぎながら、もう一度神社へ向かった。
「あれ」
神社の入り口はあの大きな鳥居ではなく、どこにでもあるような大きさで、しかも石の鳥居があり、その奥に赤い鳥居があった。
階段はない。
まっすぐに続く道の奥に古い拝殿が見える。
僕は周りを見渡した。間違いない、さっき来たのはここだ。
呆然としている僕に祖母が言った。
「おばあちゃんもね、子供のときに一度だけお前と同じものを見て、長い階段を登ったことがあるんだよ。そして、そこでお前があったのと同じおばあさんと女の子に会ってるんだよ」
そう言って、僕の手を握る手に、ほんの少しだけ力を加えた。
「ここにはね、たまにそういう子が現れるんだよ。お前の父さんもおじさんもおばさんも、そういうことはなかったから、私だけなのかと思っていたら、そうかい、お前が行ってきたのかい」
祖母は空いている手で僕の頭をなでた。
「神様にこういうことを言うのもおかしなことだけど、ふたりとも元気だったかい」
「うん。ふたりともずっと笑ってたよ」
「そうかいそうかい、お前はここの神様たちに歓迎されたんだよ。よく来たねって。生まれるときも、生まれてからも、お前は体が弱かったからね。それでもこうして元気に育ってくれたのは、お前が守られてるからなんだ」
祖母は繋いでいる手を離し、しゃがんで僕の両肩に手をおいた。
「よかったねぇ。さっきの話を聞いたら、お前は生かされているんだねぇ。おばあちゃんは楽しみだよ、お前が世の中のためにどんなことをしてくれるのか」
そう言うと、急に小声になって続けた。
「お前はどんな秘密をもらったのか、教えてくれとは言わないよ。でも、それだけはちゃんと守るんだよ。なにせ神様との約束なんだからね」
そこまで思い出した時、激痛は続いているのに、急に眠気のようなものが襲ってきて、僕は目を閉じた。
3
目を覚ますと、妻が泣きながら部屋から出ていった。
僕は仰向けに寝ていた。
目だけで周囲を見て、ここが病院だとわかった。右足が吊るされている。
助かったのか。
深呼吸をする。
間もなく医者と看護師、その後に妻が病室に入ってきた。
医者が僕の目を覗き込み、手首を軽く握る。
「どうやら意識が戻りましたね。もうしばらくこのまま様子を見ましょう」
そう言うと医者は立ち去り、看護師が点滴を確認して僕に笑顔で言った。
「奥さん、ずっとそばにいて、名前を呼んでいたんですよ」
看護師も部屋から出ていくと、妻が僕の隣りに座った。
「よかった」
涙も鼻水も隠そうとしない妻に、僕は笑いながら言った。
「ありがとう。でも、その、とりあえず、鼻水だけでもなんとかしないか」
妻も笑い、ティッシュで鼻をかむ。
「落ちる途中で、木の枝に一回乗って、そのあとリュックがクッションになったおかげで助かったそうよ。あ、動こうとしないでね。脚の骨は折れてるんだから」
「そっか。あ、リュックの中の道具は大丈夫かな」
「大丈夫よ。もう、今はそんなこと心配しないで、自分の命が助かったことに感謝しなさい。それと、ずっと側にいたあたしにも」
妻がいつもの笑顔を取り戻した。
「ああ、そうだな。ありがとう」
リュックの中には、あの時もらった石も入っている。
僕は妻に、そして医者、看護師に、ここまで運んでくれた人たちに、そして、あの神社で会ったおばあちゃんと子どもに向けて言った。
「本当にありがとう」
さて、退院したら、また描こう。
きっとそれが僕がやるべきことなのだろうし、心からやりたいことなんだから。
描くことがどういうことに繋がるのかはわからないけど。
妻は微笑みながら僕の手をとっていた。
窓の外から差し込む日の光が、ちょうど妻の頭のうしろにあり、後光が差しているように見えた。
妻の手の温かさを感じながら、この人は僕にとって女神なのかもしれないなと思ったけど、さすがに恥ずかしくて言葉にはできなかった。
「ありがとう」
もう一度それだけ言って、僕は生きるために眠ることにした。
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