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デザフェスの苦い思い出。

デザフェスに行ったのはいつだろうか。もう十数年も前だったと思う。

20代の頃は自己投資だと思って年に数回東京へ行き、主にGEISAIに出展。デザフェスなんかにも一回か二回くらい出展したような気がする。


なんとなくデザインフェスタはクリエイターの見本市。アートとか現代美術とかではなく、様々なクリエーターやアーティストたちが出展するかなり規模の大きなイベントだという認識だったが、十数年経ったとは言えそんなに認識としては変わっていないと思う。


自身で製作したステッカーやzine、グッズ、クラフトもの、イラストやデザイン、アクセサリーやフードなんかもある。もちろんアートといった類のものも多い。

無類のこうしたマーケットイベント好きな僕もとても好きなイベントだ。


しかし、その十数年前に見た時のトラウマが一つある。



「自分の血液で絵を描きました。」


と大きな字でアピールし、実際にキャンバスには赤く何かが描かれていた。何が描かれていたかはもう覚えていないが、その前に男性が立っておりその人が作者らしい。


あまり作品に対して拒否反応を示したことがない僕だが、


「きっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーも!!!!!」


と完全に拒否反応を起こしてしまった。

無理だ。これは無理だった(多分今も無理)。


と、まぁ作品の好き好みは結局人それぞれなので別に作品を否定する気もないんだが、もう、なんてゆーか、無理だった。


せめて血液で描いたことによるコンセプトが明確にあって、コンセプチュアルアートとして見れるものならまだ良かったと思うが、何が描かれているか覚えていないものの、多分、ただの自己満足。ナルシシズムなのか、ちょっと僕には受け入れることができなかったのだ。


日本語的和製英語の アート=自己表現 というのが世間的に認知されているような危険性の最たるものがこーゆーことだと思う。

作品は自己満足によるもので完結するものではないことをわかっていて欲しいと今でも思う。

大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。