心の強さってなに?辛い経験を糧にできるか足枷にしてしまうかは自分次第
辛い経験は人をやさしくする?
辛い経験をした人がやさしくなるかどうかは、その人がその経験をどう捉えて、どう乗り越えるかによる。
過去の経験として消化できていれば、辛さを知っている分、やさしくなれると思う。
だけど、やさしさって難しいよね。
やさしさは、言葉にしたり隣にいてあげることとは限らないし、そもそも人からの印象や評価なので、それがやさしいと相手が感じるかはまた別の話。
場合によっては、良かれと思ってやったことが、相手は不快に思うかもしれない。
やさしさは、相手の気持ちを汲み取って気遣えることだと思う。
相手の気持ちを汲み取るには、いろいろと経験は必要だ。
だけど、わざわざ自分の心身を傷める辛い経験をする必要はないと思う。
何事もなく、平穏に暮らせるならばそれが一番いい。
心の強さってなんだろう?
先日、ママ友として出会った友人とじっくり話す機会があった。
出会ってからたぶん7年くらい経つ。
すごく親しく会っているわけではないけれど、会えば子どもの話を含めて話し込む相手だ。
お互いに趣味も多いので、話題には事欠かない。
ゆえにあんまり自分のプライベートな話(特に親の話)を改めてすることもなかった。
自分の毒親の話をすると、相手によってはコメントに困って引いてしまうので、自ら話すこともない。
どうして親の話になったのかは忘れたけど最近になって、お互いに毒な母親に育てられた&現在は実母と距離を置いているという共通項があることを互いに知った。
いろいろなエピソードや困りごとなどをひと通り話しながら共感しあった。
そして彼女は「身近に最大級に迷惑な人(実母)がいる環境で育つと、ちょっとやそっとのことじゃ怒らなくなるよね?」と言った。
確かに、感情がマックスに震えるほどの怒りはめったに起きない気もする。
ただ、私は人に理不尽な言動をとる人は昔から許せないので、感情まかせに怒ることはなくても、必要に応じてハッキリと物申すタイプだ。
消化できることは堪えることもあるけども、言いたいことを我慢すると、もやもやが募るので、その状況に耐えられない。
割といつも心をフラットな状態を保つように心がけているからなのか「落ち着いてる」とか「強いよね」と言われることが多い。
毒親共通項の彼女もまた似たようなタイプで、いつも明るく話すので悩みなんてなさそうに思える。
だけど、そんなわけはない。
彼女は大病により死の淵から生還した勇者だ。
一時は、抗がん剤治療の副作用により全身が脱毛状態だった。
その間も頭にはスカーフ巻いて、歩いてる私の横を通り過ぎる際に、わざわざ車窓を開けて挨拶してくる明るい人です。
大手術の末、癌細胞はすべて取り切れましたが、広範囲だったこともあり、再発の可能性は払拭できていない。
誰でも悩みはあるし、順風満帆な状況が続く人なんていないに等しいと思う。
辛いことは何度経験したって辛いし、決して慣れるわけでもない。
単に心の滞りを解消しなければ、前に進めないことを知っているので、心を整理整頓する術を習得しているだけだ。
無駄に悩むと時間だけが費やされてしまう。
どうにもならないことは悩むのをやめ、割り切って前に進むしかない。
進むうちにどうにか乗り切れることもある。
本当に強いかどうかはわからないけれど、割り切ることで前向きになれるなら、それが心の強さってことなんだと思う。
間違っても、心が鈍感なわけではないので勘違いはしないでほしい。
平気そうに見えるかもだけど、人並みに傷つくこともあれば、悲しみに暮れる日だってあるのです。
辛い経験を糧にするか足枷にするかは自分次第
まったく同じ経験をしても、乗り越えられる人とそうでない人がいる。
もちろん、ショックなことはレベルによっても、心が回復するまでの時間は違う。
人それぞれ性格も考え方も違うので、同じ経験をしたとしても吹っ切れるまでには個人差がある。
ただ、悩んでいる間にも時間の流れが止まることはない。
辛い経験が糧か足枷になるかは、自分の心が向いている方向次第だと思う。
過去に気持ちが向いていれば足枷になるだろうし、前に向いていればすでに消化した経験として、自分の糧になっている。
人生を謳歌するために必要なのは、割り切りの良さだと思っている。
割り切りとは、あくまでもポジティブな思考で、どうにもならないことを諦める潔さだと思う。
投げやりとは違う。
どうにもならないことを、あれやこれやと考えてしまう思考をすぐに変えることは難しいけれど、少しずつ意識して割り切るようにすると、それがあたり前になったりする。
時間は思うよりも数倍早く過ぎて行く。
足枷はできるだけ排除して、元気に動けるうちに好きなことして楽しむほうがいい。
とりあえず前を向く
人を励ますとき「前を向いていこう」と言ったりする。
無理やり前を向いたところで、一歩が踏み出せない状況が長く続いてしまうかもしれない。
でも、後ろを向いてなければ、前からチャンスがやってきたらつかめるし、ピンチがやってきたら避けられる。
前を歩く誰かのピンチにも気づけるかもしれない。
人にやさしくなろうの「人」のなかには、もちろん自分も含まれる。
やさしさは心の余裕がないと生まれない。
私は自分の周りの人たちにやさしくありたいと思う。