潟のなりたち
新潟の冬は
絶え間なく降り続く雨に
なすすべもなく
やがて雪へと変わる時間が
ただひたすらに流れてゆきます。
庭を眺めていると
雨水が流れ、土地の低い場所に溜り
ゆっくりと浸み込むさまが見られます。
砂地にしみ込んだ雨水は
時間をかけて地下水となり
近くを流れる河川の伏流水と
ひとつになるのでしょう。
そう、ボンサイ・マムの庭は
河が長い年月をかけて形成した
新潟平野の一帯にあるのです。
潟とは?
新潟平野には
潟とよばれる湿地帯が点在し
豊かな生態系に
たくさんの動植物をはぐくんでいます。
潟というと、
九州の有明海のように、
潮の満ち引きによって変化する
干潟をイメージする人が多いですね。
一方、新潟平野に点在する潟とは
たびたびの氾濫で
河川が流路を変え
海へと押し出す土砂によって
堰き止められた低湿地を指すのです。
竜のように空を飛んで
新潟平野が形作られた歴史を
みてみましょう。
はるか古代
信濃川と阿賀野川、この二つの大河は
上流から土砂を運び
徐々に新潟平野を形成してゆきました。
大昔は
今より海岸線が
ずっと奥地にあったといいます。
氾濫を繰り返す河は
土砂を運び、各地に湿地帯を形成しながら
海へと注ぎました。
上流から海へと押し出される土砂は
砂丘をひだのように作り
湿地、砂丘、湿地、砂丘と
アップダウンする地形が作られたのです。
すなわち
砂丘と砂丘に挟まれた窪地に、
水が溜まった場所が
いわゆる「潟」なのです。
水害の光と影
時代を経て、人々が稲作をはじめても
河は暴れるたびに流路を変え
ときに家や田を流し
ときに砂丘を突き破って
海へと注ぎました。
しかし、恐ろしい水害は
そのたび
上流にある森林から有機物を運びこみ
大地を肥やす恵みの雨でもあったのです。
古くから
河もまた豊穣をもたらす神であり
のちの竜神信仰へと発展しました。
これからの治水
いま、河川は整備され
堤防によって家々は守られています。
しかし地球温暖化による気候変動により
降り注ぐ雨はこれまでの経験値を上回り
既存の治水工事では対応できなくなっているのは、
昨今の報道の通りです。
一方、世界に目を向けると
干ばつによる水不足で
紛争が起きている地域さえあります。
亜熱帯化しているとはいえ
幸い日本にはまだ雨が降ります。
水害の弊害をなげくばかりでなく、
豊かな水資源を利点として見つめなおす。
発想の転換が求められている、と感じます。
たとえば
堤防と堤防の幅を大きく取ることで
遊水地を増やし
増水時の堤防決壊を防ぐのはどうでしょう。
川幅も広げれば
ゆっくりと水は地下に浸み込み
地下水を形成します。
なにも急峻な川幅で
急いで海に水を放つ必要はないのです。
河を緩やかに蛇行させ
川底から水が地下へ浸み込む時間を稼ぐ。
あるいは住宅や市街地を
河沿いから内陸部へ変遷させる
都市計画も必要となるでしょう。
いま、物流や交通は
船舶から車両に移っています。
水位が上がるたび、避難指示の発令される
川沿いに暮らしを営む
必要は薄れてきています。
水を畏(おそ)れ敬(うやま)っても、
忌み嫌うことはありません。
豊かな地下水(伏流水)は
新潟が世界に誇る、地下資源と言っていいのです。
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参考文献 新・新潟歴史双書6 新潟砂丘 2011 新潟市編
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