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旧久保田家住宅(萩市指定有形文化財)

久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移って菊屋家の向かいに呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じた。来萩した名士の宿所としても利用される。意匠、構造、技術に優れ、萩城城下町を形成する建造物として極めて重要。建築年代:幕末~明治初期 敷地770㎡

建物の特徴

  1. 伝統的な萩の町屋建築
    旧久保田家住宅は、江戸時代から続く萩の町屋建築の典型例です。町屋建築は、通りに面した間口が狭く、奥行きが深い「うなぎの寝床」と呼ばれる造りが特徴で、商人たちの住居兼店舗として機能していました。

  2. 白壁となまこ壁の美しさ
    漆喰で仕上げられた白壁や、装飾性と耐火性を兼ね備えたなまこ壁が特徴的です。これらは萩の街並みを象徴する景観要素でもあります。

  3. 武家と商人の融合的な造り
    久保田家は、武士と商人という2つの立場を持つ家系でした。そのため、住宅には武士の住まいの要素(質実剛健な作り)と商人の住まいの要素(機能性や装飾性)が巧みに融合されています。

  4. 萩焼の展示スペース
    久保田家では、萩焼と関わりが深かったため、家の一部が工房や展示スペースとして使われていたとされています。この地域独自の文化や芸術とのつながりを感じさせます。

エピソード

  1. 久保田家の歴史的背景
    久保田家は江戸時代、藩の御用商人として活躍していました。これは、藩から信頼されている商人にしか任されない役目であり、久保田家が萩の経済や文化の中心で重要な役割を果たしていたことを示しています。

  2. 萩の乱の舞台のひとつ
    明治維新後、旧士族が不満を抱いて起こした「萩の乱」に関連する人々が久保田家とも接点を持っていたという話があります。この家が地域の政治や社会の変化にも関与していた可能性が指摘されています。

  3. 巧妙な防火対策
    住宅には火事を防ぐための工夫が随所に見られます。萩は木造建築が密集していたため、防火対策は命運を分ける重要な要素でした。なまこ壁や防火用の土間など、当時の技術の粋が凝縮されています。

  4. 萩焼の影響力
    久保田家が萩焼の発展に寄与していたという伝承もあり、商人としての側面だけでなく、文化人として地域社会に影響を与えていたことがわかります。

現在、旧久保田家住宅は文化財として保存され、観光地としても親しまれています。内部を見学することで、当時の生活様式や萩の歴史を学ぶことができ、地域の魅力を再発見するきっかけを提供しています。

最後に…
歴史的な建造物や遺産は、ただ形として残されているだけではなく、その背後にある思想や文化、当時を生きた人々の情熱や努力を私たちに語りかけています。萩の世界遺産もまた、幕末の激動の時代を生き抜いた人々の軌跡を記録し、未来に向けた大切な教訓を私たちに届けてくれる存在です。
この記事では、萩の歴史を支えた重要な人物や文化遺産に焦点を当てましたが、こうしたテーマに触れるたびに、歴史を学ぶことの意味や、私たちがそこから何を受け取り、どう行動するべきかを改めて考えさせられます。歴史は過去のものではなく、今を生きる私たちに生きるヒントを与えてくれる貴重な宝物です。
特に、萩の地はただ訪れるだけではなく、その背景や物語を知ることで、より深い感動を得られる場所です。歴史を知り、地域の魅力を再認識することは、そこに住む人々や訪れる人々を結びつける力となります。そしてそれは、未来へ向けて文化や価値を紡いでいく礎ともなるでしょう。
この記事が、萩の魅力やその歴史の奥深さに触れるきっかけとなり、皆さまが新たな発見をする助けになれば幸いです。今後も、こうした貴重な地域遺産の魅力やその保存、活用について考え、情報を発信していきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。皆さまのご感想やご意見をぜひお聞かせください。そして、次回の記事でもまたお会いできることを楽しみにしています。」

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