苦しんで適合するのはやめました。今年最初の決意と行動。
『どうして私はまともに働くことができないんだろう』
ずっとこの言葉を自分自身にかけては苦しんできました。
時には他人から浴びせられたことも。
思い返せば、期待に胸を膨らませて始まった社会人生活。
「好き」という気持ちと「興味」と「向上心」。
そして「知らない世界へ飛び込んでいる状況」そのものに高揚しっぱなし。
真っ新な自分に、新しい価値観が書き足されている感覚が楽しくて、充実感があって、寝る間も惜しんで仕事や勉強に励んでいた。
どこで道が逸れたのか、はたまた元からそういう人間だったのか、きっとおそらく後者なのだろうけど、わたしは頑張ることができなくなった。
そして言われる。「甘えてたらダメだよ」という言葉。
「もう好きじゃない」「もう頑張れない」というじぶんの気持ちと、周りから聞こえる「それは甘え」「弱い人間」という厳しい声。
昨今の世の中では、ひとつの会社に長く勤めることができる人が優秀、我慢してこそ社会人、みたいな考え方は古いとされてきていて、自由な働き方や自分らしさを大切にした生き方が尊重されるようになってきたように感じる(ようやく少しずつね…)
数年前(わたしがいた環境では)そのマインドの人は現在よりもかなり少なく、「精神的なことが理由で体調を崩す」ことが許されない環境だった。許されないとは言っても、出来ないものは出来ないので限界まで働き、結果上司と揉めた末の自主退職。そこでは『会社』や『組織』という言葉を使って、権力を振りかざし従業員を縛りつけコントロールする組織があることを学んだ。
その後もう一度、別の会社で正社員になるも、また同じような適応障害の症状が出てしまい退職。「もう正社員では働かない」と謎の決意をし、復調後はずっとアルバイトや派遣の仕事をしていた。
でも、どんな雇用形態だろうと、どんな職場だろうと、『組織に属して、労働をしている』ことに変わりはない。はじめこそ新しい環境にワクワクして、初めて知る情報で新鮮さを感じ、楽しさを覚えるけれど、結局行き着くところは『窮屈さ』だった。
「好きなこと」だと思って始めた化粧品関連の仕事も、「条件が良すぎる」と思って始めたコールセンターの仕事も、「役に立つことが学べる」と思って始まった人材関連の仕事も。どれも自分にメリットがあることは頭で理解出来ていても、心が窮屈になり続けることが出来なかった。
そこでようやく気付かされた、「自分がメリットや打算、計算で動ける人間じゃないんだ」ってことに。仕事と感情を切り離したことはなかったし、「好き」「興味」「関心」がそのままモチベーションになるタイプ。モチベーションというか気持ち云々の前に体が勝手に動くタイプ。
いままでは「組織に属している以上は会社に従う、従いたくなければ組織から出ていくだけ(=出ていく実力がないうちは合わせるしかない)」「すぐに働けなくなる自分が情けない、恥ずかしい」など、社会に対する劣等感も大きかった。それを隠そうとして、優等生な振る舞いをして、うまく適合しようとしていた。
けどもうやめる!結局その苦しんだ7年間で得たものは、『自分が社会・組織に適合しようと思っても、どの場所でも出来なかった』という結果だった。(現時点ではね)
自分が未熟すぎるだけかも、甘ちゃんなのかも、と思ってしまうことはまだあるし、そう思われる・言われることが怖くないわけではない。けど、無理してまた組織に入って、社会に適合できずに苦しむ怖さのほうが強い。今度こそやばい。
なのでここからは「好き」を追い求めて、「好き」なように自分の価値観を極めて、「好き」な人・モノを大切に、生きていく!決定だ!