寂しさを吐き出せる場をめざして
ターミナル(終末期)の方が入所されると、その方の苦痛や不安をどうしたら緩和できるのか、多職種で意見を出しながらケアさせていただく。
二人暮らしをしてきたご夫婦のどちらかが入所になれば、ご家族は一人で家に戻り、一人で夕食をとり、一人で夜を越すことになる。
介護がなくなって楽になるだろう、そういう面も確かにある。しかし、ずっと二人でいた家に相手がいない。寂しさや不安は今だけじゃなく、亡くなったあともずっと続く。
夕食は配食サービスを頼み始めたと仰る奥様。「お世話になります。また来ます」と歩いていかれる後ろ姿が、とても寂しそうだった。
ご主人のことを「頑固で、わがままで、自分の思い通りにならないと怒るの」と笑って話してくださるけれど、その言葉の裏には『だからいないと寂しいのよ』があるのだろう。
「奥さん、たまにはご主人と同じご飯を、ここで一緒に食べませんか? ご家族も頼めます。その日は配食をキャンセルしてもらって、こちらで夕食をご用意します。ケアマネジャーにも話してみますから」
その場で思いついたことを咄嗟に口にしていた。
奥様の顔が一瞬ぱっと明るくなった。
看取りの場は、もちろんご本人が主人公で、その方が最期をどう生きるのか、ケアする側も、ご家族も、一緒にいっぱい考える。
しかし、亡くなったあとは、残されたご家族の物語が続いていく。
だからこそ、私たちケアする側は、ご家族のケアも大切にしていきたいと思う。
ふらっと寄ってもらえる場になればいい。
命日や、何かの折にふらっと寄ってくださる男性がいる。亡くなった奥様の、カバンに入るサイズの遺影とともに。
カバンから写真を出して「里帰りだぞ」と話しかける。
「まだ寂しいな。でもご飯作ったり、掃除もしてるよ」と話しながらコーヒーを飲む。
ただコーヒーを飲みに寄ってもらえる関係づくり
私が考える悲嘆ケア。