「とうほくのこよみのよぶね」3月11日
3月11日、今でもすぐにあのときの映像がよみがえる。わたしにとっては映像でしかない。ここ釜石に暮らす人たちにとっては現実に起こったことであり、今日は大切な方々の命日。釜石に今いられることに感謝でいっぱいです。
「民宿 前川」さんでおいしい朝ごはんをいただいて、「とうほくのこよみのよぶね」の準備へ。
昨日完成した行灯を会場になる根浜海岸の旅館「宝来館」へ運ぶ。
目の前の海はとても穏やか。海のない県で生まれ育ったわたしには憧れの景色であり貴重な時間だ。
行灯を補修したり、行灯を取り付け海に浮かべるフロートに舟形のパネルを組み立てる作業が続く。
お昼の休憩には地元の給食のパンにもなっている沢口製パンさんのパン。これがおいしかった! 明日お店に行ってみることにしたよ。
宝来館のテラスには小さな「3.11」行灯が飾られた。宝来館のスタッフさんたちは風船を膨らまし、スタッフ、ゲスト、地域の皆さんが風船にメッセージを書いた。
地震が発生した14時46分にサイレンが鳴る。黙とうしているこの時間も顔にあたる風は冷たく痛い。この寒さのなか突然起こった地震と津波だったのだ。持参したお数珠を握りしめて祈った。
女将さんが慰霊の鐘を鳴らし、風船が一斉に空に舞う。高く高く飛んでいき見えなくなった。空からは見えていたかな。
わたしたちは港に移り、行灯を取り付け海に浮かべる準備を続ける。
民宿の前川さんが船にのって行灯を迎えに来てくれた。80歳をこえる海の男、海とともに生きる前川さんも、今日は娘さんの命日なのだ。
そんな大事な日に協力してくださることに深く深く感謝する。
行灯が海に浮かんだ。
地元の実行委員のみなさんで企画され、クラウドファンディングをして「白菊」という花火を打上げるそう。
この花火を作ったのは長岡の花火師・嘉瀬誠次さん。シベリア抑留中に亡くなってしまった仲間に捧げる鎮魂の花火として誕生した。
今は息子さんが想いを継いで作っている。
花火まで時間があるので、こよみのよぶね岐阜メンバーで「釜石祈りのパーク」まで行くことにした。
ちょうど「いのちをつなぐ未来館」で写真展が開催されていたので拝見する。
胸が締めつけられる。悲しみや絶望、無念が写真から伝わってくる。
一本ずつ菊をいただき献花する。目の前には高い壁があった。
ビル3階部分ほどの高さに「東日本大震災津波高」と書いてある。その高さを実際目の前にして言葉が出てこない。想像していた高さをはるかに超えていた。信じられない高さ。
「怖かっただろうな……」手を合わせながら涙が止まらなくなった。
報道で知る数字では分かったつもりでしかない。
ここに来て実際自分の目で見て、知れてよかった。
白菊が上がった。地元の花火も近くで見ていたが、音は今まで聞いたどの花火より大きく、湾に反響するからなのか音で体が押さえつけられるような迫力。
白一色の大きな花火が3発、その美しい白菊の花は空からもよく見えているだろう。
片付けも終え宝来館の露天風呂で体を温めた。暗闇に波の音、この音を安心して聞けるようになったのはいつごろなんだろう。今でも怖いと感じる人もいるのだろうか。
お風呂に入れることにも感謝する。
海の幸を存分にいただいて、地元の方のお話も聞けて、女将さんにはインタビューのお願いもした。
忘れられない一日になった。