思い出の味とは違ったけれど
うーん……この味ではなかったような……
親指と人差し指でつくった円ほどの大きさのまんじゅうを一口食べた瞬間、期待外れの味に少しがっかりした。おいしくないということではなく、わたしの思い出の味と合致しなかったのだ。
アメ横商店街と上野中通り商店街の始点、写真でよく見る場所、日曜の午後は外国人観光客などで賑わっている。
何度も来ている場所だが、おまんじゅう屋さんに気づくことなく通りすぎていた。
SNSでたまたま目にしたまんじゅうの記事、小さな回転焼きのようなまんじゅうを見た瞬間、どうしてもこれが食べたいと思った。
ちょうど上野に用がある、寄ってみよう。
「上野 都まんじゅう本舗 かるた家」
ガラス越しに見える店内では小さな丸い型で焼かれているまんじゅうが見られる。
「そうそう、こんな機械で焼いていたと思う」とわたしは頭の中でつぶやいていた。
子どものころ、父方の祖母と「新岐阜百貨店」に買い物にでかけると、帰りに1階で焼いている小さなまんじゅうを買ってもらえた。
確か「ミルク饅頭」という名前だったと思う。
近くの柳ヶ瀬商店街にある高島屋で売っていた「御座候」というあんこがぎっしり詰まった回転焼きもよく買ってもらったが、わたしは小さなミルク饅頭のほうが好きだった。
子どものころ、わたしはあんこ、特に粒あんが苦手だったのだ。豆自体があまり好きではなく、あんこ好きの祖父にあんこを献上していた。
伊勢神宮で有名な「赤福」はこしあんだけど、あれも上のあんこは祖父に食べてもらい下の餅だけ食べる子どもだった。
ミルク饅頭は白あんだったと思うが、こちらはなぜか食べられたのだ。
わたしは、男兄弟だけの家に生まれた初めての女の子だったので祖父に溺愛された。入院していた祖父は、わたしの誕生日にプレゼント代わりのお小遣いをくれた翌日に亡くなった。誕生日まではとがんばるくらいにわたしを愛していた。
対照的に、祖母は男勝りなわたしを「女らしく」したくて厳しくした。いいところ生まれの女学園卒で、茶道を長く続け、見栄っ張りで世間体を気にする人だった。わたしとは馬が合わなかったが、小さい頃のこのまんじゅうは祖母の良い記憶として残っている。
数少ない良い思い出、そのまんじゅうは新岐阜百貨店が閉店になって食べられなくなった。でも見た目がそっくりなまんじゅうに東京で出合ったのだ。
10個入り600円のまんじゅうを買って、帰りの電車の中で久しぶりに祖父母のことを思い出していた。次に帰った時はお墓参りに行こうかな。
家についてお湯を沸かし、ほうじ茶をいれた。
包装紙をはがし、箱の中のまんじゅうと対面。懐かしいなぁ……
ぱくっと一口、ん?
何が違うんだろう、これも白あん、材料はたぶん一緒だ。
「ミルク饅頭」はもっとしっとりしていたのかな。
確かな味は思い出せないが、「これこれ!懐かしい!」とはならなかったのだから、味は違うんだ。
考えながら3個のまんじゅうが消えていった。おいしいのです。
残りは明日のお楽しみにしよう。
時々買って、空にいる祖父母と父に手を合わせよう。
「忘れないで」というメッセージだったのかもしれない。
ライター名は父方の名前だから嫌でも忘れないんだけどね。
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