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お試し平日夫婦時間
余命92日
今日は年明け2日目のお仕事。仕事は大きなトピックもなく流れていった。
今日は仕事が終わってから夫と夫婦の時間を取ることにしていた。子供達は給食がないからお昼はお弁当、夜は冷凍ドリアを食べるように言っておいた。
なかなか平日に時間が取れないから工夫出来ないか、と夫が発案したのだが、私も帰宅せずに直行すれば罪悪感もなく、早々と一人の時間の解放感を味わえるいい時間だなと思った。
結局、夫は会議が長引き予定より30分くらい遅れて到着。
私は結局1時間以上待ったことになる。
待つことになるかな、という予感は当たった。
最近、夫から仕事の話を聞いていなかったからちょっと聞いてみた。
今悩んでいることを重苦しそうに話し始めた。
大変だね、と声をかけると涙を浮かべた。
まだだいぶ辛い状況なんだなと理解。
平日はなかなか聞けないのでこの時間はその辛さに寄り添っていく必要があるかなと思った。
しかし、夫は寄り添いは自分にとっては効果はない、もっと突っ込んで聞いて意見したり感情をぶつけてもらわないと自分には意味がない、わからないから、と言われるとそれ以上話す気持ちはなくなると話していた。
確かに「わからない」と言ってしまえば話す気持ちが失せるのはわかる、そう思っても言わないようにしなきゃと反省の気持ちが生じたのは先日カウンセラーさんと話ができたからかもしれない。
夫は、夫婦関係も家庭も全てが辛い、それは良い言い方をすれば、私の寄り添いがベースの姿勢、別の言い方をすれば、受け身の姿勢に要因があると言う。
私も大学院の進学に関する悩みや子育てのモヤモヤはずっと抱えている。
他にも片付けができない夫の片付けをそっとやっていたり、家事や家計管理、予定管理の多くを担っている(自主的に)ことなど色々と抱えているのだけれど、、それらもぼやいたりしながら自分なりに折り合いをつけていくしかないと思っている。
夫は会議のように話し合うことがなければ時間をとる意味がないと言って渋い顔を見せた。
私は時間を共有することに意味があるのではないかと思ったのでそれを伝えた。
夫の灰色の心はこれからどう晴れていくのか。
やっぱりパートナーとしては多少の支援をしながら見守りしていくしかない。そう思った。
自宅に帰ると子供達がそれなりに過ごしていてくれていた。
長女は自分の世界に入って話しかけづらかったが次女は甘えモード全開だったのでたくさん新学期が始まってからのことなどを話してからお布団に入って添い寝した。
夫は子ども達に言葉をかけずともぎゅっと抱きしめて癒してもらっている様子だった。
そしてまた仕事のオンライン会議に戻っていった。
夫が仕事のもやもやを抱えていて、一方で私は病気の治療も一段落し、希望していた大学院に合格して仕事からも距離を置くことができる、という環境の違いは葛藤を抱えることになるのかもしれない。
夫としては家計を支えるという指名があるから自由がないというという気持ち。
かといって病気もあって収入も豊富ではない私だけれど、夢をみてはいけないというわけでもないはずだし、難しいなあと思う。