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Happy Women's Map 青森県八戸市 『家庭之友(婦人之友)』創刊者 羽仁 もと子 女史 / Founder of 'Katei no Tomo / Fujin no Tomo', Ms. Hani Motoko

-羽仁もと子記念館 Motoko Hani Memorial Museum

「私どもは志を同じうする女性の団結によって、愛・自由・協力による新社会の建設に努力します」
"We will strive to build a new society based on love, freedom and cooperation through the unity of women."

羽仁 もと子 女史
Ms. Motoko Hani
1873 - 1957
青森県八戸市 生誕
Born in Hatinohe-city, Aomori-Ken

羽仁もと子女史は『家庭の友(後の 婦人之友)』創刊者。家計簿ならびに主婦日記を考案。夫婦で自由学園および婦人之友社を創立。婦人主体の家庭と社会をつなぐ全国組織を展開します。
Ms. Motoko Hani is a Founder of ``Katei no Tomo'' (later called ``Fujin no Tomo''). She invented household account books and housewives' diaries. Together with her husband, she founded Jiyū Gakuen and Fujin-no-Tomo-sha. They developed a nationwide organization that connects women-centric households and society.
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「インテリの祖父」
 もと子は、小南部藩士族・松岡家の一人娘の美和 とその婿養子・登太郎の長女として生まれます。祖父・忠隆は江戸勤番で東京の文明開化を知り、郷里で『朝野新聞』を愛読するインテリ。父・登太郎は免許代言人 (今の弁護士)で法律事務所を開きながらも、職業上の誘惑に負けて、もと子11歳のときに祖父に離縁されます。もと子は3人の弟妹とともに、祖父を父親代わりとして、円満な祖母と、世間知らずで人の善い母と、海山の恩恵を受けて育てられます。人一倍不器用なもと子は小学校に通い出すと、先生の素読と解釈だけの授業の復習に難渋しながら、掃き清められた菩提寺の南宋寺の境内で頭を休めては、夜中まで画学・習字・裁縫に取り組みます。やがて成績優秀で表彰されるようになると、バーレーの「万国史」と英語に没頭、祖父に上京を懇願します。

「憧れの学長」
 築地に新設される府立高等女学校(白鷗高校の前身)に入学を許された16歳のもと子は、5日間かけて人力車とそりを乗り継いで仙台までたどり着くと、初めて目にする汽車に乗って上野の広小路に降り立ち、同郷の女学生たちと受験に臨みます。晴れて通い始めた女学校で仲良くなった女学生に連れられて、新富町の新富座まで中村福助(歌右衛門)を見に行ったり、初めて召集された帝国議会について政談演説を聞きに行ったり、築地・明石町の教会に通い始めます。東京に来て以来少しも勉強しないもと子は、3人の級友とともに受験した女子高等師範学校の入学試験を一人だけ不合格になります。思い切ったもと子は、愛読する『女学雑誌』の主筆で明治女学校校長の岩本善治に学費の免除を手紙で懇願。入学許可と共に、『女学雑誌』の仮名つけの仕事をもらい、100人以上の女学生たち、舎監の先生、多数の召使いと共に、にぎやかでも規律正しい生活を共にしながら、雑誌編集を介して矢嶋楫子、跡見花蹊、田辺花圃、島崎藤村、北村透谷、秀英舎らの既知を得ます。

「動物園」
 やがて全女学生の「憧れの存在」である学長・岩本善治が女学生に度々手を出しては自殺に追いやってた事実が浮き彫りにされる中、入学して1年数か月後、もと子は帰郷して尋常小学校や盛岡女学校の教員を務めます。「あの爛漫たる才華のなかに、理もあり情もありながら、生ける信仰を欠いていた。 その聡明さはキリスト教思想を解してい ても、本気に神に仕えようとはしていなかったであろう。そのために美しい学校 がとうとう魔の国へさらわれて行ってし まった。」まもなくもと子は鉄道会社に勤める京都出身の男性と手紙のやり取りをはじめ、祖父の反対を押し切って結婚。京都で新生活を始めるもすぐに離婚を決意、誰にも何も言わずに東京行きの汽車に乗り込みます。同窓生である女医の吉岡弥生の家事手伝いをしながら、報知社(現・報知新聞社)の校正係の募集を見つけ男性名で応募します。印刷工場と金網で仕切られている編集局で「動物園にメスが来た」と大騒ぎされながら、丹念で正確な校正が認められ、家庭・婦人・教育の記事を任されるようになります。

「家庭之友」
 星川清子のペンネームで執筆に明け暮れる中、元子は7歳年下の同僚の記者・羽仁吉一と結婚します。ふたりは同じ境遇の若い家庭にむけて、家庭生活誌『家庭之友』(後に「婦人之友」と改題)を創刊。家事整理・育児問答・家庭料理・洋裁・禁酒美談・身上相談を取り上げて婦人が家庭の中心となるよう呼びかけ、家計簿・主婦日記を創案して予定と予算で筋道の立った生活を広めます。もと子は読者に、身近な人を集めて自主勉強会・読書会を開催することを呼び掛け支援します。各地に友の会が生まれ、もと子を中心に「全国友の会」を設立、農村生活改善運動、北京生活学校、終戦後の引き揚げ者援護事業、各種展覧会や講習会の開催など、社会へ向けた様々な事業を展開します。続いて、娘のために文部省の高等女学校令によらない女学校自由学園を創立、もと子は園長に就任します。帝国ホテルを設計していた世界的建築家・フランク・ロイド・ライト氏に校舎を設計してもらい、『家庭之友』の愛読者らと精神的構想を練りながら、詰め込み教育と子供自由主義教育を批判、本当の自由主義教育を目指します。83歳で逝去するまでたくさんの著作を残したもと子の発想は、夫・吉一の絶え間ない精神的はじめ経営的サポートにより実現されていきます。

-羽仁もと子記念館 Motoko Hani Memorial Museum
-婦人之友社 Fujin no Tomo Sha
-自由学園明日館 Jiyugakuen Myonitikan
-自由学園 Jiyu Gakuen
-『野の花の姿』(羽仁もと子 著 / 教文館1960年)

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