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Happy Women's Map 神奈川県伊豆市 日本初の女性裁判官 石渡 満子 女史 / Japan’s First Female Judge, Ms. Mitsuko Ishiwata
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「結局正しい考えというのは男子も女子も同じでありますけれども、やはりそこに多少違いがあるのではないか。」
``In the end, the correct thoughts are the same for men and women, but I think there are some differences.''
「社会全般のことは男女双方の立場から観察・考慮して初めて円満な解決が得られます。」
``Amicable solutions can only be reached when issues in general society are observed and considered from the standpoints of both men and women.''
石渡 満子 女史
Ms. Mitcuko Ishiwata
1905 - 1974
神奈川逗子市 生誕
Born in Zusi-city, Kanagaw-ken
石渡満子女史は日本初の女性裁判官です。婦人法曹普及会はじめ婦人人権擁護同盟を組織して、戦後の日本の女性の社会的自立をバックアップしました。
Ms. Mitsuko Ishiwata was Japan's first female judge. She established organizations such as the Women's Legal Profession Propagation Association and the Women's Rights Advocacy Alliance to support the social empowerment of women in post-war Japan.
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「勉強へのあこがれ」
満子は横須賀市桜山(今の逗子市)に、農学博士で養蚕産業を指導をする官吏の父親のもと4人姉妹の長女として生まれます。あたたかい両親の膝元で女子として良き家庭人になることを理想としながも、決して勉強では男子に負けないようにと満子は思います。東京女子高等師範学校(御茶ノ水女子大学)専攻科家庭部に進学すると、女学校用教科書が男子の中等学校用教科書よりも程度が低いことを満子は不満に思います。卒業と同時に婿養子を迎えて結婚するも、勉学へのあこがれ止まずに東京大学の聴講生となりますが、まもなくその途も閉ざされます。憤慨した満子は、毛利子爵が私費で経営する速記塾の学校に入学して、男女の別なく気分よく愉快に学びながらどんどん速記技能を伸ばします。
「離婚裁判」
8年目、満子は夫と離婚して一生独身で立ちたいと決心します。この時に、結婚生活の不幸、人間の精神的な悩みというものについて、裁判官とか検察官が非常に冷たいもの厳しいものであるというように感じます。「正しい考えというのは男女に違いがあるのではないか。」「裁判というものは男と女の両方の正しく見た目で決められていかなければならない。」女性は司法試験に合格しても弁護士以外にはなれず、裁判官・検察官といった司法官に女性がいないことに、満子は憤慨します。法律を調べてみると、女が裁判官・検事になってはいけないということはどこにも書いていない。女の進出を阻むものは何にもないはずであるのに実際にはなれない。「女性の問題に携わって、人情をもって暖かい気持ちをもって同じ様なことで苦しんだ女性の相談相手になりたい。」
「未開の地へのあこがれ」
満子は30歳を過ぎて法律の勉強を始めます。「今からでは」両親に反対される中、35歳の春、女性のための法律専門学校を新設した明治大学女子部法科に進学します。まもなく、女性最初の司法科高等科試験の合格者として、和田嘉子女史、久米愛子女史、中田正子女史が話題になります。「きっとやり通す」満子は熱意を高めます。両親の了解してもらえるようになった矢先、父が急逝して家督相続をして内外の用事に忙殺されます。続いて、戦争がますます激しくなり、高等試験の中止が発表され、満子は石川島造船所に勤労動員されます。本を読むひまもなく涙を飲んで2年間勉強を中断します。敗戦後、最初に実施された司法試験を受験した満子はようやく合格の喜びを味わいます。42歳になっていました。
「女性裁判官第1号」
裁判官を志望する満子は新しく新設された司法修習生として採用され、2年間の検察と弁護の実務を修習、122名中唯一の女生して修了証書を授与され、44歳で裁判官の資格を得ます。アメリカ進駐軍は満子を写真撮影して本国に報告、研修所所長は「男女平等の新憲法下において喜ばしい」と祝辞を満子に送ります。戦後の不況による失業者の増大・生活苦による追い出し離婚の増大・少年少女の人身売買・地方婦人労働者の酷使が激増します。満子は女性弁護士らと婦人法曹普及会を結成、生活に直結した法律講座を開催します。また家事調停員また人権擁護委員らと協力して婦人人権擁護同盟を組織、実態調査・法律相談・訴訟・啓蒙活動を行います。女性を受けつけぬ暗黙のルールが存在する中に45歳で女性初の判事補として東京地方裁判所に赴任。56歳で判事となり、関東各地の地方裁判所に赴任。定年退官後は弁護士となり第二東京弁護士会に所属して、家庭裁判所を中心とした婦人・青少年問題に奔走します。69歳で逝去。「結局正しい考えというのは男子も女子も同じでありますけれども、やはりそこに多少違いがあるのではないか。大勢の方が女性裁判官になられて正しい見方をして頂くようにと思っております。」
-明治大学 Meiji Univ.
-『法律のひろば 3(1)』(ぎょうせい 編 / 1950年)
-『人事院月報 : 公務員関係情報誌 23(5)(231)』(人事院総務課 編 / 日経印刷1970-05)
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