Happy Women's Map 宮城県栗原市高清水 出羽奥州の神子の創始者 朝日和歌神子 / Founder of MIKO in Dewa-Oshu, Asahi-Waka-Miko
「一の弓 まずうち鳴らす初音をば このむらの神々まで請じ入れ申さうや
二の弓の音声をば 所の神々まで請じ入れ申さうや
三の弓をば 日本は六十六箇国のかずのすうさく 和光同塵まで請じ入れ申さや」(神寄せ)
朝日和歌神子
Asahi-Waka-Miko
1200 頃 - 1300 頃
宮城県栗原市高清水 生誕
Kurihara-city, Miyagi-ken
朝日和歌神子は出羽奥州の神子(盲巫)の創始者です。125歳で逝去するまで、出羽奥州の盲目の女性達に祈祷また口寄せなどの巫技を伝え組織化しました。葛西氏家臣・志津川城主の千葉大膳太夫の妻となって、中世の豪族・葛西氏の滅亡に伴って盲目となった朝日姫と同一人物とする伝承も語り継がれています。
Asahi Waka Miko is the founder of Miko (blind shamans) in Dewa Oshu. Until her death at the age of 125, she taught and organized shamanic techniques such as prayers and kuchiyose to the blind women of Dewa Oshu. There is also a legend that holds that she is the same as Princess Asahi, who became the wife of Chiba Daizendayu, a vassal of the Kasai clan and the lord of Shizugawa Castle, and became blind with the fall of the Kasai clan, a powerful family in the Middle Ages.
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「朝日姫の誕生」
人王八十二代御鳥羽院の御治世、源頼朝公の御時、奥州大崎栗原郡高清水に比久太郎という人がいた。元は源家の侍であったが、民家に下った。富貴に暮らしていて一人の娘が生まれ、正月元旦に朝日を受けて誕生したので朝日と名づけた。7歳の頃から学問をはじめ聡明であったが、十六歳の春に盲人となり、両親は神社に祈ったが甲斐がなかった。娘は出羽奥州五国には自分のような盲目の女もいるだろう、末世に至るまで世を渡るための方法はないかと考えた。
「月山権現と梁川八幡宮の神力」
十六歳の七月十六日、湯殿山へ行き、月山権現の御前で通夜したところ、権現が枕上に立って、四寸四方の箱の中に十二の巻物がある、急いで伊達郡梁川の八幡宮へ行き、百日通夜して渡世の道を祈るがよいと告げた。夢から覚めて枕元を見ると箱があったので、梁川の八幡宮へ行き、通夜して祈ったところ、八幡宮が枕上に立って箱を開けて巻物を取り出し、学問して法を広め渡世しなさい、座頭の妻になるがよい、朝日そうし和歌神子と名乗り、弟子を大勢取って和歌神子と名乗らせるがよいといった。
「行者修行」
朝日は朝も夜も学問した。1の巻は心経、2の巻は錫杖経、3の巻は日本紀国がけ、4の巻は東方らく、5の巻は北方らく、6の巻は祈立、7の巻は羽黒の祓、8の巻は月山の祓、9の巻は梁川八幡の祓、10の巻はさわぐり、11の巻はもの神正し・草木揃え、12の巻は浄土さがし・地獄探し・大よせ口・小よせ口である。神子の道具である7尺3寸の弓・3尺1寸の打竹・数珠・錫杖・れい・かなまりを持った。それより空を飛ぶ鳥や地を走る獣も祈り落とす妙技を身に付けた。
「朝日和歌神子」
朝日和歌神子は出羽奥州へこの法を広め、梁川に2人、米沢に1人、坂田に1人、秋田に2人、津軽に1人、南部に1人、弟子を持った。本国に帰っって大崎でも2人以上弟子を持った。弟子たちに和歌の法を学問させ、和歌の道具を譲り、祈念、祭礼、口寄せを習わせ、孫弟子彦弟子いずれも座頭の妻となった。和歌神子は座頭中老引きの妻となり、座頭妻を神子と名乗らせ、和歌の譲りを得るときは100日の精進、7日の断食、3度の垢離を行うこと、和歌神子代々伝えられた。
「朝日和歌神子による盲人渡世のはじまり」
朝日そうし和歌神子は125歳で亡くなり、文禄3年7月10日に高清水の丸田沢というところの和歌神子大神宮と現れ、11月18日を知恵第一の神として祭礼を末世まで勤めさせた。朝日姫は千手観音の化身であり、衆生済度のため、盲人となり諸々の神仏へ祈り、末世に至り盲人渡世のことを願い、湯殿山、月山の神力をもつ行者となって和歌神子を名乗り給うこと、奥州栗田郡の役人国主・藤原秀衡に伝えた。秀衡は将軍頼朝公に言上し、末世に至るまで何国でも盲人は朝日和歌神子と名乗って、口寄せ、祈祷を勤めてもよいという国主秀衡殿の印紙を載いた。
-『巫女の習俗:東北地方』(文化庁文化財保護部 編 / 国土地理協会)
-八戸市・新山神社旧蔵『梓神子の由来』
-『日本巫女史』(中山太郎 著 / 大岡山書店1930)
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