Happy Women's Map 鹿児島県鹿児島市 日本女性初の生化学者・理学博士 丹下 梅子 女史 / The First Female Biochemist in Japan, Ms. Umeko Tange
「閑古鳥呼べば答えるものながら」
"When I call out, the silent cuckoo responds."
丹下 梅子 女史
Ms. Umeko Tange
1873 - 1955
鹿児島県鹿児島市 生誕
Born in Kagoshima-city, Kagoshima-ken
丹下梅子女史は日本初の女子帝大生化学者で、日本女性で初めてアメリカの大学から理学博士の称号を受けました。40歳を過ぎてから78歳まで栄養学の研究に打ち込んで多くの論文を発表しながら授業を続けました。
Ms. Umeko Tange was the first female biochemist at an imperial university in Japan, and the first Japanese woman to receive the title of Doctor of Science from an American university. From the age of 40 until the age of 78 she devoted herself to research in nutrition, published many papers and continued her teaching.
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「人づくりの名人」
梅子は、製糖や製塩で財を成す父・伊左衛門と、人づくりの名人である母・エダのもと7人きょうだいに生まれます。丹下家は鹿児島市中心部に広大な敷地といくつもの蔵を持つ裕福な商家で、梅子のきょうだいは東京の大学に進学して教鞭を執るなど優秀な成績を修めていました。3歳の時に、u目子は不慮の事故で片目を失明。責任を感じた母は娘を学者にすると誓います。幼少時から飽きっぽい梅子の小学校での成績は芳しくない、勉強よりもままごとよりも人形遊びよりも好きなことは、木の皮をせんじること、草の葉や木の実から色を取りだすこと、天びんを作って遊ぶこと。しかしながら、母ならびに姉の猛特訓のお陰で、梅子は13歳のときに最年少で師範学校に入学、ならびに首席で卒業します。17 歳で鹿児島県立女子師範学校(現在の鹿児島大学教育学部)を卒業、母校の名山小学校、技芸学校(現在の鹿児島女子高校)で10年教鞭を執ります。この頃、家業を継いだ兄が事業に失敗、丹下家は莫大な借金を抱え家屋まで失います。そこで梅子は勉強を続けるために、母方の親戚で農商務次官・貴族院議員・元老院議官を歴任した前田正名男爵の支援、さらに日本女子大学校の創設を目指す成瀬仁蔵の援助を取り付けます。28 歳で 開校したばかりの日本女子大学校家政学部に入学、寮に入って舎監として働きながら勉学に励みます。さらに「日本の薬学と有機化学の祖」長井長義教授の助手となった梅子は、文部省の化学中等教員検定試験に女性として初めて合格。40歳で東北帝国大学理科大学(現在の東北大学理学部)に入学を果たし、黒田チカ、牧田らくと共に女性初の帝大生となります。重い結核にかかり2年休学しながらも、実験の腕を見込まれて臨時の助手を務めたり、男子学生の尊敬を得ながら、45歳の時に首席で卒業。大学院に進学して真島利行教授の指導のもとで有機化学と生物化学を専攻します。
「化学の鬼」
梅子は有機化学・生物化学の知識を活かして、日本であまり研究者のいない栄養学を極めるために海外留学への挑戦を決意します。前田正名男爵ならびに成瀬仁蔵に相談をして、欧米の理科教育・児童栄養についての調査として、文部・内務両省の嘱託研究員して海外派遣の任命、ならびに日本大学からの研究支援を受けることに成功します。48歳でアメリカに留学、8年間に渡って4 つの大学に在学・就職します。スタンフォード大学、コロンビア大学で栄養化学を修め、54歳のときジョンズ・ホプキンス大学にてマッカラム教授の指導のもと「ステロール類のアロファン酸エステルの合成と性質」で博士号を取得。この研究は有機化合物の合成や分離精製など高度な実験技術を要するもので、研究成果は生化学分野で最も権威のある学術誌『Journalof Biological Chemistry』に発表されます。さらにマッカラム教授の推薦でオハイオ州のシンシナティ大学の助手として勤務、胆汁酸の研究に従事。8年間のアメリカ留学を終えて帰国したチカは母校・日本女子大学の生物化学担当教授として迎えられます。さらに研究への情熱が尽きない梅子は57歳からビタミン B1 研究で知られる農芸化学の大家鈴木梅太郎に師事、大学の授業を終えた後に毎日理化学研究所に通って研究を続けます。67歳で、「ビタミンB2複合体の研究」で東京大学から農学博士の学位を授与されます。梅子は博士取得後も 76 歳まで理化学研究所に通って研究を続け、78 歳で大学を退職。梅子は退職時に愛弟子・辻キヨに私財を託します。辻は「先覚者丹下先生」を著し、その売上金と合わせて学力・人物優秀者を奨励する丹下賞を創設します。
-日本女子大学資料館 Japan Women's University Museum
-鹿児島大学 Kagoshima Univ.
-東北大学 Tohoku Univ.
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