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Happy Women's Map 東京都八丈町 最年少の女性巣鴨プリズナー 石井 栄子 女史 / The Youngest Female Sugamo Prisoner, Ms. Eiko Ishi
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石井 栄子 女史
Ms. Eiko Ishi
1927 - ?
東京都八丈町 生誕
Born in Hachijyo-machi, Tokyo-to
石井 栄子 女史は最年少の女性巣鴨プリズナー。太平洋戦争の激戦地サイパンで山に潜む残存日本兵を助けた罪で巣鴨刑務所に服役。そこで東京ローズはじめNHK国際放送局職員リリー・アベックまた九大生体解剖事件の看護婦長・筒井静子と過ごす。
Ms. Eiko Ishii is the youngest female Sugamo prisoner. She served time in Sugamo Prison for aiding Japanese soldiers hiding in the mountains of Saipan, a major battleground during the Pacific War. There, she spent time with Tokyo Rose, Swiss journalist Lily Abec, and Shizuko Tsutsui, the head nurse involved in the Kyushu University vivisection incident.
「模範学生」
栄子は八丈島で生まれ、日本郵船の代理店に勤める父と母のもと5人きょうだいの末っ子として誕生。6歳の時に一家そろって、邦人5万人ほどが暮らすサイパンに移住します。1年目に父は海で殉職、長兄が18歳で家長に。栄子は姉に倣って勉学に励み、サイパン女学校に進学。年間男女一人づつ選ばれる恩寵財団奨学会から模範学生として表彰を受けます。3年生のときに、島に要塞をつくる目的でやってきた海軍が、南洋貿易の荷捌きの仕事で島の周辺の水路に明るい長兄を頼りに、石井家に出入りするようになります。女学校を卒業した栄子は、ガラパン市長を園長とする園児300名の幼稚園に就職。やがて戦況が不利になると内地引き揚げで邦人の半分が去る中、陸海軍合わせて42,400名、在留夫人24,000名、島民3,200名と一緒に、栄子は島を守るものとして残ります。
「命の恩人」
まもなく艦砲射撃とともにサイパンは戦火にのまれ、連日の砲撃の中を逃げ回っていると突然路上で機銃掃射を浴び、あっという間に隣にいた姉が息絶えます。「子供たちを頼むわね」。栄子の体は破片で八カ所から血が噴き出します。死ぬには武器もなし、敵側に捕らわれの身にはなりたくなしで、傷を受けて海に飛び込む者が多い中、栄子は道の真ん中に飛び出します。「狙い撃ちされて死ぬのが一番いい」トラックで通りかかったた日本兵に拾われ、民間人の避難所まで送り届けられます。「憲兵伍長の土屋学です」母と兄たちと合流した栄子は、傷がひどいために母兄の死ねばもろともの付き添いでアメリカ側に送られます。すると左足を切断するために野戦病院に送られることに。「足を切られるくらいなら死んだ方がいいい」栄子は野戦送りを断固拒否して意識不明に。一緒に死のうと決意した兄に海岸に運ばれ波にのまれているところを同級生に発見されます。海の塩が消毒液の役目を果たしたのか、次第に傷は快方に向かいます。担架と松葉杖に支えられて戦火をさまよった挙句に収容所に送り込まれます。
「ジャングルボーイ」
「サイパン部隊は敵に多大の損害を与え是認壮烈なる戦死をとげたものと認む」大本営からの玉砕発表を受け、栄子は生き残った軍人軍属4,786名、一般邦人15,000名と一緒に敗戦。アメリカ側の指示で、アメリカ側から放出されたアメリカの古着・クッキー・缶詰・靴・ジャム・ミルクなど物資を収容所にいる日本人に配布する部署で働き始めます。8か月ぶりにむしろから解放された栄子は、米俵4枚分の広さの新しい幕舎の床を、子供達と競って雑巾かけをして、涼み台、蚊帳をこしらえ、洗濯たらい、洗面器、天水ドラム缶など、暮らしを整えます。米軍憲兵たちが日本兵の白骨の山から選んだ頭蓋骨でキャッチボールをする横で、畑作業に勤しんでなす・キャベツ・サツマイモ・メロンなどを育てます。バラ線(有刺鉄線)に囲まれた収容所の向こうを島民憲兵が歩く中、炊事裏の草原に行って艦砲射撃ですっかり形の変わったタッポウチョ山を見上げると、敗残兵を探す電波探知機の探照灯が照り輝きます。或る日、女学校の恩師に呼ばれてついて行った先で敗残兵に引き合わされます。「戦友が怪我して困っているので物資を調達して欲しい。戦友の名は土屋学」。
「裏切り」
栄子は事の恐ろしさに震えながらも、食料だけでなく知り合いの看護婦長に依頼して洋服生地を物々交換して手に入れた薬、ジャングルの日本兵に役立つと思われるあらゆる物資を集め、米軍の動きを記したメモとともに野良仕事のときに畑に隠します。すると命がけで忍んでくる敗残兵が持ち帰り、各所にひそんでゲリラを繰り返します。収容所の中では、山の日本兵にもアメリカ兵にも情報を提供する人、完全にアメリカ側について日本兵や収容仲間の動静を提供して特別待遇を受ける人も出てきます。そしてアメリカ側に要領良く取り入って同胞を痛めつけている人物を日本人の学生たちが刃物で刺し殺す事件が収容所内で起こります。学生らはすぐに拘置、拷問や告げ口などで、ジャングルに潜む敗残兵からの指示が発覚、物資を差し入れていた栄子も島民MPに囲まれて取り調べられます。「日本人が日本人を助けて何故悪い。しかも山の中にいる土屋伍長は命の恩人なのだ。私の行為に文句があるなら銃殺せよ。」言い放った栄子は巣鴨刑務所での1年間の服役が言い渡され、そのまま引き揚げ船に送り込まれます。天皇の敗戦詔勅を聞いてようやく山から投降した47人の日本兵は誰一人栄子を庇おうとしません。
「東京ローズ」
巣鴨に送り込まれた18歳の栄子は黙秘権を行使。英語も日本語も分からないふりをします。東京ローズことアイバ・トグリ・ダキノに委ねられた栄子は、兵隊たちがいないすきに日本語で話しかけすっかり打ち解けます。房は20畳ほどのリビングルームに、オルガン、タイプ、食卓セット、学習机を完備。「グッドモーニングツーユー」の歌声とともに兵隊がリビングルームの鍵を開けに来ると、室内で洗面を済ませて庭を散歩。朝はトマトジュースに目玉焼き5個、昼は半羽にケーキ、夜はシチューにカリフォルニアアレンジ。ベッドルームの掃除、肌着の洗濯、1日おきに封切りミュージカル映画の鑑賞、兵隊からもらう生地で洋服を縫ったり、兵隊のセーターをほどいて婦人用に編み返したり。手先の器用な栄子は同じ棟の外国人戦犯者はじめビルマのバー・モー首相の寝間着のほつれを縫って兵隊からもらった香水を振りかけて返しては喜ばれます。栄子は同室のアイバはじめNHK国際放送局職員リリー・アベックと九大生体解剖事件の看護婦長・筒井静子一緒に、習字に読書に「巣鴨パラダイス」合唱、午後を入浴に費やし、楽しい毎日を過ごします。
「嫌なものは嫌」
「日本は変わる。これからは実力時代だ。お前は洋裁の腕を身に付けなさい。しかも男女平等の世の中になるから、男物も女物も縫えなければならぬ。」釈放された栄子は洋裁で身を立て、独身で通し迷い猫と一緒に過ごします。晩年はひもといた汎易学協会会員「資乃」として親しい人の家相の相談にのりします。「戦争で人間の裏を嫌というほど見た。心のきれいな人が弾丸の中へ飛び込んでいき、要領良く立ち回った人が案外生きのびている。戦争よりも恐ろしいのはむしろ人間の性。そういう恐ろしい人間に騙されないように、現実の防衛策として易にすがっている。死線を越えたから何かにすがるなどと軽々しく思い違いされては迷惑。」ある日、記者を通じて送られてきた土屋学改め加賀学自費出版「玉砕の影」を送り返します。「私は南の島で亡くなった人たちを忘れるわけにはいかない。気高い人、潔い人、尊敬すべき人たちはみんな死んだ。」「巣鴨で東京ローズさんと一緒にいる間に本性を揺り起こされた。土壇場に来ると嫌なものは嫌と拒否できる性格の強い人間になった。」
-マリアナ政府観光局
-「戦争記念館 : <戦争>展記録 第3回・第4回」(読売新聞大阪社会部 編 読売新聞社1980年)
-「玉砕の島に生き残って」(奥山良子 著 / 原書房1967年)
-「むかし戦争があった : 戦争世代からの伝言」(鈴木均 著 / プレジデント社1979年)
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